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昭和40年代 平岡を流れていた二里川

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昭和40年代 平岡を流れていた二里川

1.平岡地域を流れていた「まぼろしの二里川」
 厚別川の下流域に「二里川」(厚別区)と記した川名があります。三里塚の里程標と関係がありそうですが、里程標との関わりというよりは。三里川の西側を並走するように流れていたので、そのように呼称されたのだと思われます。(注:二里塚は、現在の東月寒地域のラウネナイ川付近です。)
 現在は、二里川の流れを見ることは出来ませんが、その川筋は、「ひらおか」(平成11年10月発行)に、次のように記されてあります。

 平岡のほぼ中央を南北に横断して流れていた二里川は、平岡南公園付近から湧き出ていた湧水が源流です。途中平岡中央小学校前から、約二十メートル余り西よりに流れ出す、幾筋かの谷間の水が合流して、豊かな冷水は、そこに住む人々の生活に恵みを与えて来ました。この狭い谷間の沢地には、多くの農家が水田耕作を行なっていました。しかし、余りにも深い谷間は、稲作を経営するには決して適地とは言えず、悪条件の下での作業は、ほとんど人海戦術しかありませんでした。   (中略)
 その二里川の豊かな水も、昭和五十年中頃から六十二年までの宅地造成で姿を消し、全ての水流が地下深い管道によって、せせらぎの音を聞かせる事も無く、流れ続けているのです。  (以下 略)


 下記の地図は、大正5年(1916年頃)国土地理院に依るものですが、二里川の川筋を、地形図によって書き入れたものです。二里川の流れが概略ですが、理解いただけるものと思います。

 二里川の川筋は、おおよそ2筋から形成されています。
 1つ目は、国道36号線の南側からの流れで、本流となる流れです。2つ目は、支流と思われる本流の北側にあり、厚別川に近い流れです。
 2つの流れは合流した後、三里川と合流して、厚別川に注いでいます。
 二筋の川の流れは、厚別川と三里川に挟まれた状態であることを確認ください。
 二里川の一帯(平岡地域)は、各所に湧水が発生する状況に在った事が窺えます。
 二里川の銘々については、丁度三里川に沿って並行するように流れていたので、明治末頃に名付けられたと思われます。

2.「札幌市清田区地形復元図」(地形分類図)による二里川
 下記の地図は、国土地理院による、「 札幌市清田区地形復元図」(地形分類図)です。
 ・昭和36年(1961年)撮影の空中写真を判読したものです。

 <地図の作製の経過について>
 2018年(平成30年)9月6日3時7分59.3秒(日本時間)に、北海道胆振地方中東部を震源として発生した地震(北海道胆振東部地震)によって、札幌市清田区の里塚地区周辺において大きな被害が生じました。
 その事態により、国土地理院により、清田地区を重点とした「 札幌市清田区地形復元図」(地形分類図)が作成されました。古くからの河川・地盤を見直すためです。
 それが、下の地図(部分)であることを付記しておきます。(平成30年10月12日配信)

 二里川の湧水は、平岡南公園ばかりでなく、国道36号線を越えた南側からの湧水の流れもあったように点線で記してあります。
 2つの流れは、平岡中学校の西側で合流し、イオン平岡札幌店の西側の池へと向かっています。
 その後、平岡中央中学校の敷地中央から、平岡中央小学校の敷地を通る川筋であったと思われます。
 そして、平岡中央小学校の西側からの湧水と合流し、(平岡きのこ公園は、合流の箇所だったようです。)
 平岡北公園と向かいますが、途中に湧水の箇所が2箇所位あったように記されてあります。
 (その1つ目が、平岡東公園を湧水地として、平岡街づくりセンターの北側で合流箇所となっている川筋と、2つ目が、平岡こおろぎ公園を湧水地として、平岡北公園を合流箇所としている川筋です。)
 そこから、平岡三角公園への川筋がありますが、河岸段丘の崖のような状態に記されてあります。
 そうして、大谷地のわらび緑地で、支流のさくら川(北野緑地を流れる)と合流して厚別川へと川筋は向かっています。

3.現在図での二里川の流れについて

 左記の地図は、平成15年頃の地図です。
「二里川」を、大正5年の国土地理院の地形図を基に書き入れてみた。
 <左図は筆者による作図です>

( 右側の大きな二里川の本流 )
国道36号線の南側からの湧水 +
平岡南公園からの湧水 ⇒ 平岡中学校で合流⇒平岡イオン西側の池 ⇒ 平岡中央中学校
平岡中央小学校の西側からの湧水 ⇒ 平岡中央小学校・平岡きのこ公園の辺りで合流 ⇒
平岡生鮮市場の南側からの湧水 +
平岡北公園の東側からの湧水 ⇒平岡北公園の辺りで合流 ⇒ 平岡三角公園⇒大谷地わらび緑地(二里川)⇒ 厚別川

( 左側の小さな二里川の支流 )
北野台小学校の北側からの湧水 ⇒北野しらかば公園 +
平岡わかば公園付近からの湧水 ⇒北野緑地(さくら川)で合流 ⇒ 大谷地わらび緑地(二里川)⇒ 厚別川

 二里川は、上記のような湧水による川筋であったと思われます。

 尚、三里川は、平岡公園の緑地を通り、現在の高速道路沿いに川の道筋がありました。
 平岡公園の緑地の池は三里川の流れもありますが、いくつかの湧水による流れによって出来たと推測されます。
 古老の方々のお話では、平岡周辺は、至る所から湧水があった地域であるとの述懐があります。
 上記の湧水は特に大きな湧水で、他にもあったようです。
 厚別川と三里川の流れの中間に位置した二里川の流れですから、湧水が各所にあっても不思議ではなく、各所が湿地となっていたようです。

4.昔日のイオンの池と森(元拓銀の厚生施設)

 左図は、平成9年(1997年)札幌市豊平区 東部版 ゼンリン住宅地図(部分)
<注:図面の着色は筆者による>

<川筋の施設>
〇大池が1つ(左上)
当時は、橋が3か所渡されていましたが、現在は、取り外されているようです。
〇四角い養魚施設が2つ
当初は、持田幸雄が池を造り、コイ、フナ等を飼っていたとのことです。
養魚施設の西側に、川筋があったように地図には記されてあります。
〇花菖蒲園・水蓮池が1つ
花菖蒲や水蓮を育てるために、池を造り観賞したのではないでしょうか。

 平成9年当時湧水の水脈が在ったか疑問ですが、川の流れがあり、水を取り入れるために、給水施設が備えられてあったようです。
 ※平成9年頃であっても、二里川の川筋の名残があり、水脈からの補水が感じられます。

◎地図の右側の施設は、当時の<拓銀の野球場等の施設>です。
 〇野球場が1つ、たくぎん平岡総合運動場 グランドです。
  グランドの傍には休憩所が備えられてありました。
 〇テニスコート
  グランドの東側にはテニスコートが設置されてあったのです。
 〇拓銀体育館・たくぎん平岡寮
  体育館の傍には、たくぎん平岡寮があり、拓銀職員のための厚生施設が様々に完備されてあったと言えます。

 ※現在となっては、跡形もありませんが、昔なつかしい施設を彷彿とさせます。

5. 北海道土木課による二里川の表示の誤りでは・・・

<川の名の由来>
(南郷通りの「上の橋」の傍に設置)
この表示は、厚別区を流れる二里川に設置されている表示(他に1か所)です。
「一級河川石狩川水系二(に)里川(りがわ)」とあります。
 Niri RIV.
 川の名の由来
「室蘭街道(現国道36号線)の里程で、札幌本府まで二里の行程である二里塚の地名に起因している」としています。

 「室蘭街道」は通称で、明治6年(1873年)に竣工した「札幌本道」です。
 開拓使が北海道の開拓のために起工した、函館から森(陸路)・森から室蘭(海路)・室蘭から札幌(陸路)の車馬道でした。
 室蘭から札幌までの道路を通称で、「室蘭街道」と呼称しました。
 それ以前には、札幌までの陸路として、安政4年(1858年)に開削された「札幌越新道」がありましが、道幅が2間ほどで、夏場になれば草木が繁茂し1間ほどとなったと言います。
 「札幌越新道」が造られた際にも、「札幌本道」が竣工した際にも、旅人が旅程を知ることが出来るようにと道路沿いに「里程標」を設けました。
「里程標」には、一里塚・二里塚・三里塚・・・とした、目印の木の柱が立てられました。
 因みに札幌本道(室蘭街道)に設置された一里塚は、望月寒川の橋の近く、二里塚は、「ラウネナイ川・ウラウチ内川」の近く、三里塚は、「三里川・ラウネナイ川(同じ川です)」、四里塚は、「大曲川」の近くに「里程標」が設置されました。
 という事は、この川が札幌本道の「二里塚」の辺りを流れていたと言う事となりますが・・・・。
 実際は、「二里塚」の辺りを流れていないのが実状となっています。
 平岡の「二里川」は厚別川の東側を流れ、「二里塚」とはかなりかけ離れている現状を知ることが出来ます。
 「室蘭街道」の辺りでは、平岡の清田体育館・平岡の平岡南小学校の近くが上流に当たる川筋となり、却って、位置的には三里塚の方を流れていたと言ってよい川です。

 里程標「二里塚」の辺りにあった川は、「ラウネナイ川」(現在の日糧パン工場の近くの川)若しくは、少し離れていますが清田区の「吉田川」と呼ばれている川となります。

 結論からすると、二里川は、二里塚とは全くと言ってよい程関係のない川と言えるのですが?
 表示は、多くの方が読まれます。間違った認識をされる事を危うく感じます。

6.現在の二里川筋について
           <写真で見る二里川筋の現状>
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かつて湧水のあった平岡南公園

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川筋はイオンタウンと中学校へ通じる

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浸食された平岡中学校の段差

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中学校の辺りに川筋であった

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グランドの南側が段差となっている

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きのこ公園も川筋であったと思われる

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平岡北公園・傾斜が急である

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北公園の川筋跡・湿地帯

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川筋跡・両側が壁面となっている

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川筋跡・平岡さんかく公園

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北野緑地 (さくら川の跡)

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北野緑地 テニスコートに造成

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北野緑地 深い掘りが目立つ

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北野緑地 公園に造成(さくら川の跡)

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7.まとめとして

<左記の写真は、イオンの森の池>

 イオンの森の池を過ぎると二里川が流れていた痕跡はほとんど感じられません。
 さくら川の公園を散策すると、北野6条の公園には小川らしき跡が存在しますが、北野7条の公園では全く川であった形跡は見えません。そこから、厚別区の「大谷地わらび緑地」に至ってようやく二里川であったと思わせる流れにたどり着きます。

 そこは、昔の面影をほんの少しでありますが、留めている程度といえます。
 そして、近隣の方々に問いかけると、「二里川」の流れであるとは知らない方がほとんどです。
 流れがわずかにあるのですが、雑草地くらいにしか思っておられないようです。

 二里川の敷地の多くが札幌市の公園や緑地帯・学校・道路へと変貌しているのは、川筋があった事による軟弱地盤であったり、宅地化に不向きで、造成を避けた箇所であったからと考えます。
 「北野緑地」の二里川の川筋(さくら川の跡地)では、土地整備をしているものの、かなり起伏の大きい浸食のあった様子が窺える状況となっています。そこで、造成が困難であると判断して「北野緑地」にしたように思えます。
 このような事は、厚別川の直線化工事によって生じた三日月湖の土地・敷地(池・湿地・軟弱地盤など)が、公共の施設へと変化しているのと同様の利用方法であると思われます。

記:きよた あゆみ(草之)

<本編>昭和40年代 平岡を流れていた二里川

<外伝>清田区を流れていた「一里川」について

 

 


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