吉田用水路跡を歩く学生たち

 札幌国際大学(札幌市清田区清田4条1丁目)の学生が5月9日(木)と16日(木)、2回にわたり、あしりべつ郷土館(清田区清田1条2丁目、清田区民センター2階)の運営企画委員から、清田区エリアの成り立ちについて歴史的観点から学びました。

郷土館で清田エリアの歩みを学ぶ学生たち

 これは、同大学の平塚彰教授の授業の一環で、今年で3回目の取り組みです。授業は、清田区の歴史や地域社会、文化などへの興味や関心を喚起するのが狙いで、前期授業15回のうち、2回をあしりべつ郷土館が全面協力し、受け持ちました。

 5月9日(木)の授業では、受講する学生10名が平塚教授とともにあしりべつ郷土館に来館し、郷土館運営企画委員で郷土史家の了寛紀明氏から清田区の歴史を学んだほか、館内に展示している昔の農機具や生活道具などを見学しました。

吉田用水記念碑前で

 5月16日(木)は、コカ・コーラ裏の道端に建つ「吉田用水記念碑」を見学し、それから厚別川(あしりべつ川)左岸道路を北野通まで歩いて、北野3条3丁目の住宅街に残る吉田用水跡(長さ500m)を実際に歩いて見学しました。

左は北野第一公園、右に吉田用水跡が続いている

 吉田用水とは、明治25年(1892年)頃、吉田善太郎さんという人が中心になって造った水田用水路です。今のコカ・コーラ裏辺りの厚別川から取水し、北野、大谷地方面に水を供給しました。

吉田用水跡でレクチャーを受ける学生たち

 これにより、清田、北野、大谷地など厚別川流域に水田が広がり、やがて「清田」の地名になっていきました。

 吉田用水は長さが5㎞ありましたが、昭和40年代、周辺は宅地化が進み、水田は消滅。吉田用水も役目を終えて、ほとんどが埋め立てられてしまいました。

 しかし、北野3条3丁目だけには、長さ500mにわたって吉田用水跡が帯状の原っぱとして奇跡的に残っています。

 清田区は、歴史的な建物などがほとんど残っていないエリアですが、そうした中にあって、この吉田用水跡は貴重な清田区の歴史遺産といえます。

 学生たちは、郷土館運営企画委員の了寛紀明氏(郷土史研究家)、田山修三氏(北海道文化財保護協会副理事長)、川島亨氏(「ひろまある清田」代表)から、用水跡の現地を歩きながら説明を受けました。

郷土館で授業する平塚教授

 平塚教授は「明治政府や北海道開拓使は、北海道開拓において稲作は奨励せず、アメリカから指導者を招き酪農畜産等を広めようとしましたが、本州からやって来た一般の人たちは、やはり稲作への強い思いがあり、苦労して稲作に取り組みました。この吉田用水跡は今では、ただの原っぱにしか見えないかもしれませんが、そうした先人たちの思いが伝わってくる歴史遺産です」と学生たちに語りかけました。