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              ~ ケプロン と ブラキストン ~  new
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2022/08/01  清田区の文化財 厚別神社の「旧本殿」
2022/08/01  明治43年 吉田善太郎の碑

明治期  外国人の見た清田地域
~ ケプロン と ブラキストン ~

1.「ケプロン日誌」から

Journal of Horace Capron
Expedition to Japan
1871-1875
「ケプロン日誌 蝦夷と江戸」1872年(明治5年)西島照男訳
昭和60年2月25日発行 北海道新聞社

左の肖像(写真)は、ケプロン氏です。

下記は、ケプロンの日誌の抜粋です。明治5年10月22日に札幌を立ち、10月27日
に函館に到着しました。その途中の日記で、函館までの地域の各所の風景を日記にまとめて
記しています。尚、函館からは、船で東京へ向かい、そこでひと時を過ごす事となりました。

Ⅲ 第一回北海道の旅、<P155>(原文は英文です。)より  抜粋

一八七二年(明治五年) 十月二十二日
日は、美しく昇り、札幌の自然を照らす。今や、靴を履き、拍車を付ける。馬に跨がり、東京へ向け出発するばかりである。大気は澄んで、さわやか。昨夜また、ごく僅か霜。
札幌を午前八時三十分に出発。アスリベツの小さな茶店に、午前十時二十分に着く。距離は約八マイル。天気は、申し分なく素晴らしい。森は、ありとあらゆる、美しい秋の装いを凝らしている。私の生涯、アメリカのどこの森であろうが、これ以上美しく、変化に富んだ色彩を見たことがない。スルベツに、午後四時四十五分に着く。
今日、途中、アイヌの小屋を過ぎた。丁度、大きな熊を殺したばかりで、皮を広げると長さ八フィート、幅は五フィート二インチある。この皮は、アメリカへ持って行くことにする。熊の足は縦十インチある。

一八七二年(明治五年) 十月二十三日
スルベツを午前六時三十分に出発、食事をする家に七時四十五分に着く。八時十五分そこを出発、太平洋岸の勇払に午前九時四十五分に着く。天気は暖かく、快適。勇払を午前十一時に出発、小糸魚に午後一時十分に着く。小糸魚を午後二時に出発、白老に午後四時十分に着く。
新道は、この春札幌へ来るとき、函館から約二十マイル、地ならしをしたばかりであったが、今では、噴火湾東部の室蘭の港から延び、幾らか勇払を過ぎている。これは、今までできた限りでは、なかなか立派な工事である。いずれ分かるだろうが日本政府当局が、辛抱強くこの仕事を完成するまで続けるかどうか疑問である。極めて多くの、非現実的な計画を次々と始め、何ら私の承認も承諾もなく行い、しかもそれは、金銭の支出を要するものである。すべて、これは、私と日本政府との契約に、はっきり違反するものである。いずれ計画は不快と失望に終わるに違いない。
ここではっきりしておきたいが、この道路の建設とか、その他多くの現在実施している、島の開拓工事で働く人たちの指揮監督については、私は何ら関係がない。私の仕事は、開拓の大事業を進めるに当たり、私が重要と考えるすべての工事の計画、場所の選択、調査、勧告に限られている。それゆえ、労務の管理については責任を負う必要がない。私の見る限り、道路工事の管理は、たとえ日本人の目には可であっても、どこで見たよりもルーズで、無茶である。工事の見積もりは、一八七二年一月二日付け、開拓使への報告でも分かるように、二十万ドルである。これは、合衆国の同じ工事の費用を基礎にしたものである。そこでは、一日の労賃が一ドルから一ドル二十五セントであるのに、ここでは、一日二十五セントの賃金と米と魚の食事で、この仕事に幾らでも人夫を雇うことができる。しかし、現在の工事の遣り方から判断すると、政府の費用は、今計算するのも愚かな金額になるだろう。これは、今まで私の見た最高にずさんで、支離滅裂なものである。全く、公費の支出を図って、大勢の役にも立たぬ、余分な役人の利益を考えたとしか思われない。私は万事失敗すると予言する。私の身の証しを立てる唯一の手段は、非を説いて、それを文書に残すことである。これは、いつもやっているが、将来とも続けるつもである。  (以下 略)

※「アスリベツ」(アシリベツ・現清田のこと)は、西島照男氏の訳です。
※「スルベツ」は、時間と距離とを考えると、「千歳」近隣と思われます。
札幌からアシリベツまで距離が10km、所要時間が、1時間50分(約2時間)となります。アシリベツからスルベツまで6時間25分(6時間半)ですから、距離は、35km前後です。千歳には「休泊所」等の施設がありますから妥当な所と推測します。

(1)札幌本道のこと
札幌を午前8時30分に出発して、午前10時20分に、アスリベツ(アシリベツ)の小さな茶店(小休所)に着いています。
当時の札幌から勇払のまでの道路「札幌本道」は、未完成だったようです。
室蘭から勇払までは、完成していたようで、「札幌本道」の建設について、様々に言及しています。

(2)「小休所」のこと日誌に「アスリベツ」の小さな茶店に、午前10時20分に着いていますが、この茶店は「札幌越新道(旧道筋)」の「小休所」(現在の真栄に所在)であったと思われます。
「小休所」は、明治6年6月に「札幌本道」が完成した後、現在の清田小学校敷地内に11月に移設されました。

(3)あしりべつの風景のこと
清田地域の風景について、ケプロンは「天気は、申し分なく素晴らしい。森は、ありとあらゆる、美しい秋の装いを凝らしている。私の生涯、アメリカのどこの森であろうが、これ以上美しく、変化に富んだ色彩を見たことがない。」と大絶賛しています。
清田の秋の情景をこれほどまでに称賛していただいた事に、地域の住民として喜ばしい気持ちでいっぱいです。

(4)北海道の開拓の工事「札幌本道」他のこと
ケプロンは、開拓使に提言を行っていますが、本音は、「ここではっきりしておきたいが、この道路の建設とか、その他多くの現在実施している、島の開拓工事で働く人たちの指揮監督については、私は何ら関係がない。」と言い切り、非常に無責任この上ない記述です。
外国人の目からは、日本人のする一途に目的に向かって突進する姿が異様に映ったと思われます。

2.「ブラキストン日誌」から

明治16年(1883年)2月から10月にかけて日刊新聞「ジャパン・ガゼット」に英文で連載された、トーマス・W/ブラキストンの「JAPAN IN YEZO」(「蝦夷地の中の日本」高倉新一郎校訂 近藤唯一訳 昭和54年(1979年)5月発行 八木書店 原本-函館図書館藏)の中で、「あしりべつ」のことを紹介しています。
左の肖像(写真)は、ブラキストン氏です。

Tomas Wright Blakiston(1832-1891)は、英国出身の軍人・探検家・博物学者・貿易商。文久元年に函館を訪れ20年間滞在し、道内各地等を踏査しました。

関係する部分を抜粋し転載します。「第二十二章 札幌とその周辺」より

アシべツには美しい峡谷がある──私は土地の人びとによってふつう発音されている通りに綴ることにする。アシベツという名前の綴り方が多分間違っていることについて例え前にどこかで注意を喚起しておいたにしてもである──。
小さな水の流れが高さ約八十フィートの断崖の岩頭から垂直に落下している。
峡谷には樹木が密生し、両側は非常に険阻で、夏の暑い時にも実に爽快である。
ここでは、繁茂したマツの葉の下や、種々雑多な岩がひどく入り混じって累々と横たわる間に、涼しい湿気を含んだ空気の中で茂っている数種類のシダが見出されるであろう。それが何であるか私にはよくわからないが、生えている場所は専門の植物学者が訪れても、十分それに報いることができるものであると信ずる。   <以下略>

(1)あしりべつの風景のこと
アシベツ(あししべつ川・あしりべつ地域・滝野から清田地域までのこと)は、樹木が密生し、美しい峡谷がある。小さな水の流れが高さ約八十フィートの断崖の岩頭から垂直に落下している。夏の暑い日には瀧によって空気が湿気を帯び、とても涼しく爽快である。マイナスイオンがいっぱいで森林浴ができる格好の場所である。と、景勝地アシベツを紹介しています。また、博物学者らしく、自生しているシダ類についても言及し、研究するには絶好の環境となっていることを推奨しています。

(2)「アシベツ」の発音のこと

さて、千歳の次の駅馬中継所は、シママップ川の深くて細い谷の中に設置されている所からシママップと呼ばれている。そこで、この道路のいちばん高い所を通ることになり、道路の一、二の地点からは石狩渓谷の広々した眺望がきくばかりでなく、札幌まで見える。馬を替える駅馬中継所の低い所へその道路を下って行ったのち、軽石と火山岩燼(じん)を分厚く敷いてつくられた険しい坂道を登る。再び森の中に通された真直ぐな道に入ることになるが、このは、深い凹地の底に小さな澄んだ川が流れている所へ時々ちょっと降りられることだけが変化と言える。また、その凹地の少し広い面積を持った場所に、エゾマツの木材が道に沿っていっぱい並べられている所も少しばかりある。木材はその場で鋸で板にひかれるか、屋根板材用に割られるかする。さもなければ、建築用として牛車で札幌へ送られる。今言った川の中でいちばん大きいのはアジスベツ川─普通はアシベツ川と呼ばれている─であり、それを数マイルさかのぼった所で、エゾマツがきわめて多量にある高地の近くに、政府は水力を利用した板材の製材所を持っている。
札幌に着くちょうど一里手前で、開拓使が建設した農業入植地を通過する。それから流れの速い豊平川に架けられたトラス橋の所まで真直ぐな道路が通じている。
そして、札幌へはその南東の隅から入ることになる。

(再掲)

アシベツには美しい峡谷がある──私は土地の人びとによってふつう発音されている通りに綴ることにする。アシベツという名前の綴り方が多分間違っていることにつ例え前にどこかで注意を喚起しておいたにしてもである──。

「あしりべつ」の呼称について、正式名は「アジスベツ(邦訳)」で、通常の呼び名は「アシベツ(邦訳)」と話していると記しています。発音そのものも「間違いがあるかもしれない」と疑問符を付けて紹介しています。 注:「アジスベツ」は、訳者の表記です。
ブラキストンの「Atzisbets」の表記に添うならば、「tzis」は「T」音と「Z」音の中間的な発音となります。しかも、「T」音が先にあるので「ティス」に「チェィス」が付加した音になりそうです。日本語として発音表記するのはかなり大変ですが、敢えて一例を示すと「アテェィスベツ」「アチェィスベツ」となります。
固有名詞の例として、スイス「Switzerland」・チェコスロバキア「Czechoslovakia」・キルギスタン「Kyrgyzstan」・チューリッヒ「zurich」などがあり、「z」を一応に「ジ」と発音しません。「破裂音」の発音になると思われます。(発音については、ここ迄とします。)
松浦武四郎の「アシュシべツ」にかなり近い発音となる事に驚きを隠せません。

尚、ブラキストンは、日本人のアイヌ語の表記方法について「苫小牧」を例にして、次の様に言及しています。

この名前〔Tomakomai〕<トマコマイ>は、恐らくアイヌ語によれば〔Tomakmai〕<トマクナイ>と綴るのがより正しいものと思われる。しかし、他の多くの事例におけると同様、日本語の方法─付加的に母音を挿入すること─が認められるようになってきた。カナ〔仮名表記〕で、上記のような音〔kma〕は表し得ないということは、多分述べる必要はあるまいと思う。

と日本語の発音表記について見解を述べています。

(3)英文による「アシベツ」の発音のこと
<英 文>

The next station is called Shimamap ,from its being located in the deep narrow valley of the Shimamap. Here you pass over the highest part of this road ,and from a point or two on it obtain extensive views over the Iskari valley and even as far as Sapporo . After diving down into the bottom where you change horses at the post-house, you ascend out of it by a steep road scarped out of a thick bed of pumice and cinder. Again you enter the straight cat through the woods, only varied by a dip every now and then into deep hollows in the bottoms of which are small clear running streams, and a few of larger dimensions, down which logs of spruce timber are run as far as the road , where they are cut up into boards or split for shingles , or otherwise hauled into Sapporo on bullock trucks for building purposes. The largest of these streams is the Atzisbets -usually called Ashibets- some miles farther up which the government has a shingling mill run by water power , near higher ground where the spruce trees are most plentiful. Just a ri before reaching Sapporo one of the farming settlements established by the Kaitakushi is passed through, and thence a straight road leads to a combination-truss bridge which spans the rapid running Toyohira River, and Sapporo is entered at its south-east corner.

(M272函図34)(函館中央図書館 所蔵)より

「アシリベツ」の表記について、ブラキストンは、次のような見解を記しています。
ブラキストンが、あしりべつに滞在していた明治16年(1883年)頃、清田地域を表
す発音が2種類あったという事です。
1つは、正式な発音で省略しない話し方 邦訳では「アジスベツ」です。
私見としては、「tzis」のスペルの発音を考慮すると、「アテェィスベツ」「アチェィスベツ」で、松浦武四郎の「アシュシュベツ」のような発音と考えています。
2つ目は、普通の発音で、省略した話し方 邦訳では邦訳「アシベツ」です。地域の方々にとって、「アジスベツ」(アシリベツ)の発音が難しかったので、自然発生的に省略形の「アシベツ」が用いられるようになっていったという事です。
「アシベツ」は、当時の絵図・地図等にも記載がありますから、ブラキストンの指摘は的確であると思わずにはいられません。文書として、地域の発音をこのように記していただいたおかげで「アシリベツ」の語源をたどる手がかりを得る事が出来ました。
博物学者・探検家・貿易商としてのブラキストンばかりではなく、民俗学者・言語学者として幅広い知的な領域を有していたことが感じられます。

3.まとめとして
ケプロンは、明治5年(1872年)10月22日の厚別(あしりべつ)清田を通りながら、そして、ブラキストンは、明治16年(1883年)2月から10月にかけての夏ころに、清田地域を訪れています。
当時の厚別(あしりべつ)は、森林に覆われていましたが、その景色は美しく見事であると絶賛し感動しています。
現在の清田地域も、厚別川の流れがあり、起伏に富み、多くの緑地帯・公園が各所に設置されております。
春には、桜を旧国道36号線「あしりべつ桜並木通り」沿いや厚別川の堰堤沿いに楽しむことが出来ます。また、「平岡梅園」で梅の香りと花を堪能する機会に恵まれます。
秋には、「平岡樹芸センター」で、紅葉する樹々の彩なす変化に心を奪われます。
普段何気なく過ごしていますが、自然がいっぱいの清田であるからこそ、四季折々の景色を満喫する幸運に浸れる地域であると感じるのです。
これからも、ケプロンやブラキストンのように、多くの方々が、この清田の地域を愛し、自然を大切にしながら、折節の変化を共に慈しみたいと思います。

記:きよた あゆみ(草之)

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