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昭和24年「有明開拓団」の状況
~戦後、有明地域に入植した「有明開拓団」~
1.現、「自衛隊演習地」のこと
現在、清田区の南部(有明地域)に、「自衛隊の演習場」が設定されてあります。
下図の「陸上自衛隊有明演習場」は、戦後の昭和24年(1949年)、有明に入植した人々の開墾地でした。(入植地は、「有明の滝」の南側・「滝野すずらん丘陵公園」に接し、現「ダイナスティゴルフクラブ有明」の西側周辺となっています。)
終戦後、外地(樺太)からの引揚者35戸(「有明小学校 開校70周年新校舎落成記念誌」)、また、(「豊平東部農業協同組合 30年史」 昭和55年9月発行)<P151>では、『部落名有明開拓団 40世帯、235名』<昭和26年1951年10月1日現在>が入植し、再起をかけて明治時代さながらの開墾に汗しているさなかに、昭和29年(1954年)アメリカ軍の演習地として接収され、やむなく全戸が転出して行きました。
朝鮮戦争が、昭和25年(1950年)6月~昭和28年(1953年)7月まで(7月27日、板門店にて朝鮮休戦協定に調印)あったからです。
滝野すずらん丘陵公園(面積 395.7ha)の東側ですが、「自衛隊演習場」の面積は、それ以上の広さがあります。
当時、駐留米軍のかなりの演習が滝野公園や有明・恵庭・島松の地域であったようです。
昭和30年(1955年)頃から、少しずつ接収地の返還が始まりましたが、有明の地域は、返還されずに「自衛隊演習場」となりました。
有明地域にも、朝鮮戦争の影響(傷痕)が有ったのです。
そのような事で、「有明開拓団」について調査してみました。
2.国土地理院地図に依る、清田区の「陸上自衛隊有明演習場」
下図は、国土地理院 2万5千分の1地図 「清田」及び「島松山」の部分図です。
測量履歴は、昭和50年第2回改測平成15年更新及び大正5年測量昭和50年第2回改測平成2年修正測量の2枚の地図を合わせた部分図です。
中央部が札幌市清田区
左(西側) 札幌市南区左上(北西側)札幌市豊平区
右(東側) 広島市
下部(南側)恵庭市
となっています。
清田区の橙色の線で囲んだ地域が「陸上自衛隊有明演習場」となっています。南区に及んでいる箇所が多少あります。
厚別川・仁別川・鱒見の沢川の三川に囲われた形の「演習場」です。
「有明開拓団」の開墾地は、現「陸上自衛隊有明演習場」の南部にまで及んでいました。
また、「有明開拓団」と軌を一にして隣接する滝野地域に「滝野開拓団」が入植しています。
「滝野開拓団」については、本項では内容が多岐になるため他の機会に譲り、「有明開拓団」に重点をおいての記述とします。
3.「有明開拓団」の開墾地の土地状況
ところで、「陸上自衛隊有明演習場」が「有明開拓団」の開墾地であることが判明しましたが、その土地の区画などについて、その状況がどのようになっていたかを検証したいと思います。
当初、伐木・炭焼きなどをして、共同で開墾を進めていたのであろうと推測していました。
「有明開拓団」の調査を進める中で、いくつかの資料を手にする事が出来ました。
以下、その事について記してみます。
石狩國札幌郡豊平町字有明滝野(有明の部分図です。) 面積八百五拾八町七段七畝貮歩
昭和25年滝野・有明地区開拓実測図
(昭和25年8,9月調査)
左図は、滝野の森の案内人 吉田裕二氏より資料の提供を頂き作成した模写図です。
<凡例>
― 清田区・南区境界
※鱒見の沢川が境界
― 現、自衛隊演習場
― 開拓者実測線(区画)
― 防風林地
― 共同薪炭林地
― 共同放牧地
― 土砂抑止林
〇 各戸の宅地(住居)
※有明の戸数については、資料に依り差異があります。
防風林地を設け、各戸の開墾地を区画し、共同放牧場・共同薪炭地を設定しています。
また、土砂抑止林を定めています。この地域の土砂崩れを防ぐために、生活のための伐木・伐採などを皆で抑止し森林の保全を図ったのであろうと推測しました。
かなり綿密な計画の基に、入植し開墾に臨んだことが窺えます。
有明の開墾地は、小計で601.2406町歩(約601 ha)であったとしています。
道路や河川を含めると更に敷地面積を有していたと思われます。
しかし、現在の自衛隊演習場の南側に5分の1ほど、はみ出た敷地(開墾の区画地)がありますから、凡そ500haが「有明開拓団」が開墾した土地であったと推測されます。
有明の開墾地を、表の数字のごとく約600haとすると、入植世帯を31世帯としていますから、1戸に付き概算で、約20haの開墾地となります。
防風林地や共同放牧地・共同薪炭林地・土砂抑止林などが在りますから、それほど広くはなくとも、開墾地の面積としてはある程度確保されての入植と思われます。
注:「團地別 開拓状況調 昭和24年6月 北海道開拓部」(北海道立文書館 所蔵)には、
〇「有明地区」の「全計画 42戸・入植戸数 34戸」 と記しています。
〇別の項、昭和24年度(昭和24年9月1日) 新規着手地区事業一覧に
と記し、有明地域の入植者戸数に差異が見られます。
入植しても、定住することなく、この地を離れた方もいたのでしょう。
4.1952年(昭和27年)9月13日(土)付け「北海道新聞」より
昭和27年9月13日(土)付けの北海道新聞には、「駐留軍 接収をめぐる問題」として、次の様に記してあります。
豊平、月寒を演習場として接収された地区は、札幌市の南東約四里、豊平町の丘陵地帯、接収面積は約六千五百町歩(田九町歩、畑六五三町歩、山林三千七百町歩、その他)このうちには滝野(三十八戸)有明(四十二戸)西岡(十四戸)の開拓団があり、このまゝでは演習のため営農できず、将来も不安だから接収解除か、さもなくば代替地をあつせんしてもらいたいと強く要望している。ここは真駒内キャンプに近いため早くから演習地として接収されていた・・(中略)・・ところが今年とくに最近になつて現地米軍の演習の規模、度合いが強化されるにつれてその被害が増大、急速に接収解除の声が高まってきた。(中略)開拓者たちは替地のあつせんと補償額がどの程度でいつごろ支払われるかハッキリしてほしいと支庁、道、農林省、特調にしきりに陳情をつづけているが、解答をもらえず不満をつのらせており・・・・ (以下略)
また、「新札幌市史 第5巻上」<P641~643> 「第一節 講和条約発効から高度成長期の社会問題」には、次のように記し図・表を掲げています。
表-1 札幌近郊接収地(昭和27年)面積と農家数
『北海道新聞』(昭27年9月13日付)より作成
※下図では、「豊平演習場」を「有明演習場」のように図示しています。
図-1 昭和27年,駐留軍に接収された豊平町(現札幌市)演習地
(北海道新聞 昭27年9月13日付け、より作成)としています。
左図が、図―1です。
この図のように、近隣では恵庭町演習場・島松演習場、そして、真駒内キャンプクローフォド(ママ)・石山射撃場・月寒演習場(西岡・滝野)・豊平演習場(有明)などが接収地となっていました。
駐留米軍の演習地を巡って、本道全体でもあちこちで問題が起きていたのです。
※「演習場」の面積・戸数については、新聞記載のママとします。
<参考資料>
「新札幌市史 第5巻上」
表―1は、<P26>より
終戦後の昭和20年(1945年)、アメリカ軍の進駐が進み、駐留の人数が、全道で2万4,760人に達していました。
札幌市内の大きなビルや建物、個人住宅等が接収され、軍の司令部や宿舎に当てられました。
左の表は、占領軍が接収した主な建物・施設です。
その後、「逐次帰還或ハ退道」となり、昭和21年1月26日現在で、札幌の駐留人数が5,230人となっていました。
しかし、朝鮮戦争が勃発すると、真駒内地域に進駐していた米軍の第七歩兵師団が動員をしています。ですから、各演習地の返還は保留となり、接収地等の返還も進みませんでした。
有明地域の入植者については、樺太から着の身着のままで引揚げて来て、開墾に就いて間もなくの事です。代替え地があったのか、補償があったのかについては未詳です。
致し方なく有明の地を離れて行ったと思われます。そのような「有明開拓団」の入植があった事をここに書き留めて置きました。
5.当時の有明小学校の児童数
尚、昭和17年から昭和35年までの、「清田(厚別)小学校・三里塚小学校・有明(公有地)小学校」の児童数の変化(有明(公有地)小学校の児童数は、開校の明治44年が34名で、以後、昭和17年まで、40名前後す。)を、参考のために掲げて置きます。
※児童数ですから、入植者戸数とは異なる事を前提として参照ください。
有明地域に昭和24年頃入植者があり、そして、昭和29年頃、転出して行った事を如実に物語っています。
厚別・三里塚・有明小学校の児童数
「新札幌市史 第七巻」 資料による (昭和17年~昭和35年までの集計)
ようやく昭和24年に入植した子どもたちでしたが、昭和29年には転出しなければならず、親子共々どのような思いで他の地へと移って行ったのでしょうか。それを考えると心が痛み遣り切れない気持ちとなります。
以上で「有明開拓団」に関する状況とします。
記:きよた あゆみ(草之)