「学田地(厚別演習場)」であった「真言宗 至勢山 観霊院」
平岡1条4丁目6-1にあります「観霊院」は、「北海道八十八ヶ所霊場 第八十五番札所」です。
ここは元「学田地(厚別演習場)」で、境内は、起伏に富んだ地形となっています。
「尾張高野山北海道別院至勢山観霊院」の始まりは、昭和21年、太平洋戦争が終わった直後の樺太引揚者の郡司アサにより布教され、その子息照次(明)氏が、昭和23年5月3日に開基したものです。
陸軍地の開墾は、「平岡開拓団 10名」によって行われましたが、電燈もなく、茅葺小屋で当初は生活するだけでも大変であったようです。
敷地面積は、約15,000坪で、凡そ125間(225m)×120間(216m)の広さでした。しかし、起伏の激しい土地のため、樹木を伐採しても畑に適さない開墾地であったと思われます。
以下は、開基六十周年記念(平成20年12月12日)に発行された案内書『お寺の由来』からです。
➀仁王門 ②無縁塔(三界萬霊) ③六地蔵 ④観音像(勢至菩薩) ⑤三重の塔 ⑥本堂 ⑦大日堂 ⑧弥勒堂 ⑨護摩堂 ⑩薬師堂 ⑪多宝塔 ⑫鐘楼 ⑬水神 ⑭行堂 ⑮地蔵堂 ⑯山門 ⑰交通安全地蔵 ⑱龍堂・観音堂(北海道八十八ヶ所霊場の札所) ⑲大師堂 ⑳内仏殿 と記してあります。
※ 郡司照明氏は、すべてのお堂の天井画をお描きになられました。
境内は、樹々が生い茂っていますが、信奉者等によって行き届いた手入れや清掃がなされて整然としています。
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尚、當山 開基大僧正 郡司 照明氏は、平成24年4月4日に、世壽86歳で遷化(逝去)されました。
(記:きよた あゆみ)
<本編>明治18年頃 清田にあった「学田地」と「厚別演習場」
<外伝>「学田地(厚別演習場)」であった「真言宗 至勢山 観霊院」
<外伝>「学田地(厚別演習場)」の境界を示す不思議な風景と径
<外伝>厚別演習場(平岡)の弾薬庫のこと