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明治13年「水車器械所」の設置と「厚別官林」

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明治13年「水車器械所」の設置と「厚別あししべつ官林」

(北海道大学北方資料室 所蔵)

上記の図は、厚別官林と厚別水車器械所の位置図 (模写図・筆者彩色)
※黄緑の線の●は、厚別官林の境界を示す「標木(目印の標本木)」と記しています。

はじめに
 「開拓使事業報告」の明治12年の官林調査表では、札幌郡の山々(山林地帯)には13か所の官林名が記され、民事局の管理としています。その中に「厚別官林」がありました。
 それ以前の明治8年に、「厚別官林」は、「1等官林」として『厚別(官林)ハ札幌ヲ距(サ)ル三里餘、地形平坦、北ニ面シ、土性宜(ヨロシ)ク、木質良ニシテ札幌郡山林ノ最タリ。椴(トド)、蝦夷松(エゾマツ)多ク、楢(ナラ)、刺楸(ハリギリ・栓の木)、桂(カツラ)等多シ』と記しています。
 「厚別官林」の場所は、現在の清田区の羊が丘通り以南、厚別川の上流域の全てに当たる、真栄地域・有明地域・白旗山・滝野自然公園周辺を含む広大な地域でした。
 また、明治8年には、厚別地域の『月寒村ヨリ新道筋「アシヽベツ」迄平林』『「アシヽベツ」ヨリ野津幌迄ノ間街道ヨリ北側平林』を「3等官林」に指定しています。
     注:アシヽベツは、あしりべつ・清田地域のことです。

1.札幌郡の官林と「厚別官林」
 「札幌郡之図」には、札幌近隣に、野津幌官林・厚別官林・八垂別官林・砥山官林・圓山官林・島松官林・輪厚官林・月寒官林・簾舞官林・札幌官林・發寒官林・白川官林・湯ノ澤官林が記してあり、外に薄別官林・真駒内官林・勧業課属地や工業課属地等がありました。
 すべて漢字表記となっていて、読みが明確ではありません。
    明治14,15年頃 「札幌郡之図」        (筆者模写図)

(北海道大学北方資料室 所蔵)

 「開拓使事業報告原稿 札幌」(簿書7141)には、札幌郡「月寒(ツキサップ)厚別(アシヽベツ)山林」とルビがあり、読みが「あししべつ」である事が分かります。
 明治初期には、地域名を「阿鹿別(あししべつ)」と呼んでいたように、「あししべつの滝」「あししべつ川」「あししべつ休泊所」「あししべつ官林」と呼んでいたと思われます。
 「開拓使事業報告」の中で、地域名の「厚別」の大部分についてルビがふられていません。
 その事で、後に「あつべつ官林」などと読まれるようになっていったと思われます。

2.「厚別官林」の指定と広さについて
 「厚別官林」は、工業局付属地(工業課属地)が1021万505坪と第二特撰官林が1653万30575坪の面積があり、合計で2674万3580坪(段別8914町5反2畝20坪)の広さでした。「厚別官林」が指定された後、厚別水車器械所に近い官林の地域を「工業局付属地」として札幌本府の建設のために確保したと思われます。どちらも「厚別官林」でした。
 「開拓事業報告 布令類聚 上編」には「明治六年十九日達 今般左記ノ各所ヲ官林ト取極(取り決め)」として、「望月山峯界厚別」と記してあるので、早くから「厚別官林」は良木(椴松・蝦夷松など)の宝庫であったと言えます。

3.「厚別水車器械場」について

 「あししべつの滝」のすぐ近くに、開拓使が米国から水車動力式の製材器械を輸入して、明治13年2月に「厚別水車器械場」が設置されました。
 札幌の町づくりのための木材が必要となり、早急に使える建材を造るために建てられました。

 3階建ての1階は水車の動力室・2階と3階は工作器械場としています。
 大きさは、6間×8間×2階の96坪の建物でした。

上の写真、厚別器械
下の写真、厚別器械所 裏面
(北海道立文書館 所蔵)

 

4.「厚別水車器械場」の器械類について
 厚別の器械所は、資本金12、198円32銭4厘で、明治12年2月に着手して1年後の明治13年2月に完成しています。
 器械所には、大圓鋸(だいえんのこ⇒大木を輪切りにする)が1個、小圓鋸(しょうえんのこ⇒小木を輪切りにする)が1個、横切鋸(よこぎりのこ⇒木材を柾材に切る)が3個、柾鉋(まさかんな⇒柾材に鉋をかける)が2個、鏇床(せんしょう⇒物を回転させながら削る器械)が1個の計10個の木を挽く器械類があり、82馬力の水車元車2基を動力として、厚別山林の原木を基に各種製材の加工が行われました。
 このような器械類が設置された事により、厚別官林の樹木は杣夫によって木を切り倒された後、瞬く間に用材となり厚別官林の地は、はげ山の様な状態となりました。それは、どの官林にも言える事でした。唯、野津幌官林(野幌原始林)だけがこの状況に危惧を感じ伐採が保護され現在その半分ほどが残されました。

5.「厚別水車器械場」の停止について

「厚別水車器械場」配置図(筆者模写図)(北海道立文書館 所蔵)

 器械所の他に事務所・官舎・風呂屋なども周囲に建てられました。
 ところが、明治19年5月に稼働停止となりました。わずか6年間の器械場の営業ということになります。
 廃業とした理由は、夏は水不足、冬は水が凍り、その上、市街から遠く、木材の輸送に経費が掛かり、経営が赤字となったからです。

6.真栄の土場と貯木場
 「厚別官林」(あししべつ官林)は、とても素晴らしい木材の宝庫でしたから、沢山の杣夫(そまふ)(木こり等の人々)が入って樹木を切り倒していきました。
 器械所で製材とする事もありましたが、厚別川を利用して、切り出した木材の送流(鉄砲流し)をして、現在の真栄まで運びました。真栄付近の川の両側は、土場(どば・木の引き上げ場所・木材置場)となっていました。
 また、現在の真栄公園は、貯木場(木を集めて置く所)で、そこから依頼に応じて札幌市街等へ運ばれて行きました。

7.厚別水車器械所の記念碑

                 記念碑  厚別水車器械所跡
 北海道開拓使は、明治十二年二月、この地に厚別(アシリベツ)水車器械所を建設し、二台の水車を動力に、大圓鋸、小圓鋸、横切鋸、柾挽鋸、柾鉋及び鏇床を用い、主に屋根柾を生産した。
 その後、北海道事業管理局時代に厚別木挽所と称したが、明治十九年北海道庁の方針により事業を停止した。
 ここに、その歴史的な役割と、先人の偉業を讃える為、記念碑を建立する。
       平成十年三月吉日
                      芸術の森地区町内会連合会

この記念碑は、芸術の森地区町内会連合会により、平成10年(1998年)3月に建立されています。

「記念碑 厚別水車器械所跡」

 記念碑は、道道341号真駒内御料札幌線沿い、滝野霊園東側入り口付近に設置してあります。

記:きよた あゆみ

<参考>

滝野神社
(旧 器械場神社)

 滝のすぐ近くの神社が旧器械場神社で、左上の神社は、移設した新滝野神社です。
○祭神 天照大神・大山祇命・倉稲魂神
○創建 明治42年(1909年)7月28日
○神職 豊平神社宮司 三橋 三夫(現在は未詳

○沿革 最初(1909年頃)、旧神社の位置に不動明王を祀っていた。
 1919年(大正8年)、不動尊を滝の東南山上に移転して、同じ位置に、新たに祠を豊平神社の遙拝所として造営する。豊平神社の遙拝所であった関係から、豊平神社の祭神を移した。
 社殿は3度改築し、昭和7年にも行っている。
 「器械場神社」が「滝野神社」に名前を変更したのは、1944年(昭和19年)である。
 昭和57年(1982年)に、国定公園(滝野すずらん丘陵公園)開設に伴い現在地に移転(遷座)した。別改築したものが現社殿である。
 例祭は9月15日。境内には、開拓紀念碑、馬頭観音碑、不動明王碑がある。
             以上は、「豊平町史」他を参照したものです。

境内にある「開拓紀念碑」大正2年(1913年)7月建立
<表面>
 「開拓紀念碑 開拓創始者 阿部仁太郎翁」
 発起人総代 大内著治 渡辺末吉 松本次喜
<左面> 大正二年七月 建立
<裏面>
 開拓功勞者 阿部由太郎 山岸儀太郎 髙井長次郎國方清平 松本次喜  岡部助松
 寄附者人名 寄附者人名 18名 23名 8名 計49名
 表面 側面 裏面(3面)までつづく記載

<右側>「不動明王」(右手に剣を持つ石造)
 發起人 岡部幸 阿良林藏
 世話人 嶋田喜一 里見小太郎 池土善太郎
 昭和九年七月廿六日建立
<左側>「馬頭観音菩薩」観音の上に「馬の頭」を掲げてある石造)
 寄附者の氏名が四面に刻まれてある。11名 7名 14名 9名 の計41名が記載

  所 以
明治四十三年七月二十八日アシリベツ滝東北五十米に位置す村民五十有余戸器械場神社として三大神を祀る国営公園開設に伴い髙橋幸雄氏並に岡部幸一氏の厚意に依り現在地に移転する  昭和五十七年十月十日
 委 員  堀井 寅三郎 伊藤 正 軽部 千代作 岡部 外吉  阿良 次信
※「明治四十三年」は、「明治四十二年」の誤記と思われる。

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