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明治13年頃の厚別(アシリベツ)の様子

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明治13年頃の厚別(アシリベツ)の様子

「取裁録 山林願 明治十三年自四月至九月」より (北海道立文書館 所蔵)

 上記は、材木を切り出すため、「願出の文書」(明治13年4月1日)に添付された絵図です。
 絵図には、厚別地域の略図に、次のような説明が記されています。
「千年新道・古舘金太郎小屋・厚別大川・小川・往来ヨリ壱里余・渡辺彦三小屋・此間八丁程願ノケ所」 ※ 大切な箇所は、朱書きで書いています。

・「千年新道」は、「千歳新道」(札幌本道)のことで、現在の旧国道36号線です。「千歳新道」としているのは、安政4年に開削された道が「千歳道」で、明治6年に新しく開削された道が「札幌本道」だからです。
・厚別大川は、厚別川本流のことです。

1.厚別(あしりべつ)地域での伐木
 明治13年頃、ここ厚別(あしりべつ)は、森林の生い茂る樹林地でした。
 「札幌本道」の周りも樹木が生い茂り、「厚別官林」(真栄・有明方面)と指定され土地があり、近くには「月寒官林」「輪厚官林」がありました。
 開墾はそれほど進んでいませんでした。もちろん稲作も試作する程度でした。ですから、木材の切り出しや炭焼用材、薪用材を厚別川周辺の樹林地帯から伐採し、札幌市街の需要に応じて対応していたのです。それが先の願出(椴角 千石目)の絵図です。
 注:椴角は、椴松(トドマツ)の角材のこと

2.願出の絵図(2つ目の例として)

「取裁録 山林願 明治十三年自四月至九月」より (北海道立文書館 所蔵)

 絵図には、「東西南北・往還・アシヘツ村・アシヘツ川・小川・(2か所)・新道ヨリ願山迠一り十丁余・田中万右エ門願山・平地雑木立(2か所)・川端ヨリ一丁余伐木願山・椴山(2か所)・川端・伊藤駒蔵願山・伐木願所」と記してあります。

 願出月日は、明治13年6月5日で、「林木御払下願書」として、「椴材 八百石目」を杣夫(そまふ)4名で切り出しますとしています。
 明治の初期は、「あしりべつ」の事を「アシヽヘツ」と記していましたが、簡略化した「アシヘツ」の表記となっています。

☆木材の量・体積を表す単位「石」について 
 1石は、1尺×1尺×10尺(1丈)です。目安として、木の直径が約30センチメートル・木の長さが約3メートルの丸太1本分の量(体積)ということになります。
 「椴材 八百石目」は、とど松800本分を切り出す事です。

 絵図の箇所は、現在の真栄・有明地域に当たるのではないかと思われます。
 豊富な椴松(トドマツ)の樹林があり、そこから杣夫(そまふ・木こり)を派遣して切り出していたのです。

3.願出の絵図(3つ目の例として)

「取裁録 山林願 明治十三年自四月至九月」より (北海道立文書館 所蔵)

 図面には、「千歳新道・厚別村・アシベツ川・ホンアシヽへツ・ホロアシヽへツ・願ノケ所・中川古小屋・此間壱丁余程・政吉小屋」と記してあります。

 厚別川の事を「アシベツ川」と記し、本流を「ホロアシヽヘツ」・支流を「ホンアシヽヘツ」としています。厚別川の支流域のケ所での伐木願いです。

 「林木御拂下願」として、椴材 千貮百石目を願出(明治13年4月10日)ています。
 「杣夫名(木こりの人々の名)」が列記されて、「弐拾名 右之通御座候」としています。

4.厚別(あしりべつ)地域の定住化
 木材切り出しの願出人は、厚別地域の人や月寒村の人もいましたが、多くの人は、札幌の中心部に住んでいた人たちです。木材の需要をいち早く察知して切り出しの願出を出せたからです。
 杣夫の出身者は、青森県(陸奥国)・秋田県(羽後国)・岩手県(陸中国)・山形県(羽前国)・宮城県(陸前国)・新潟県(越後国)等、東北地方の人が多い傾向にありました。
 豊かな木材も厚別地域から切り出され、目ぼしい木材が無くなると雇われ人ですから他の地域へ移住して行きました。定住する事はなかったのです。
 明治14年に明治天皇が北海道を御巡幸され、本州からの移住者が増加し、厚別地域にも居住する人がいましたが、開墾の厳しさから離れ去って行きました。
 厚別(あしりべつ)地域の人の定住は、稲作が本格化する20年代に入ってからになります。

5.「あしりべつ」の表記について
 「取裁録 山林願」には、「あしりべつ」地域についての名称が数多く表記されています。
 資料として貴重なので記して置きます。

(1)厚別川(一般的には、「アシヽヘツ」として発音し、表記していました。)
「厚別川」「厚別大川」「大川」「アシヘツ川」「アスシヘツ川」「アシスベツ川」「アシベツ川」「アシヽヘツ川」「ホロアシヽヘツ」「アシヽヘチ川」
(2)厚別川支流(山部川のこと)
「小川」「厚別小川」「ホンアシヽヘツ」
(3)厚別官林及び樹林
「厚別山」「アスシヘツ山」「アシスベツ雑林」
(4)厚別の村名
「厚別」「厚別村」「アシヽベチ村」「アシヘツ村」
(5)厚別の地域名
「新道坂」「アシリ別道」「三里塚」「月寒山」「焼山」
  ※「アシリ別道」は、あしりべつへ行く道のことです。

 以上のように「あしりべつ」の表記は様々な記載となっています。
 明治13年前後、「あしりべつ」地域の発音と表記が一定していなかったことが窺えます。
 「アシリ別道」と記した表記があり、「あしりべつ」の発音の発端を感じさせます。

「取裁録 山林願 明治十三年自四月至九月」より (北海道立文書館 所蔵)

 図面には、「豊平川・厚別川・月寒村・精進川・望月(寒)川・月寒川・アラウ(川)・山道・炭竃・往還ヨリ十五丁(朱書)・往還ヨリ凡貳里(朱書)・長岡重二(重治)願地・千葉勇二(次)願地・伐木ケ所(2か所)(朱書)」と記してあります。

 豊平区(月寒官林)・清田区(厚別官林)が概観できる図面となっています。

記:きよた あゆみ

 


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