明治37年 清田区の篠路兵村及び新琴似兵村の公有地
1.篠路兵村の「公有地」について
現在の有明は、昭和19年以前には居住者によって「公有地」と呼称されていました。
それは、篠路兵村の公有地のことでした。篠路兵村の公有地は、1号と2号の2か所がありました。面積は、2か所の合計で 808,875坪あり、現在の清田区の有明地区と札幌芙蓉カントリー倶楽部のゴルフ場周辺がその敷地となっていました。
「明治三十五年屯田歩兵第一大隊第四中隊兵屋貳百貳拾戸公有財産給與地々積調」には、次のような地積があったことが記してあります。(北海道大学北方資料室所蔵)
地名 仝郡仝村字アシヽベツ 素地目 仝
目的地目 耕地 地番号 一号・二号
地積 六九五、一〇三、二五 (注:一号地積)
一一三、七七二 (注:二号地積)
兵村名 篠路兵村
「仝郡仝村」は、札幌郡月寒村のこと。 字アシヽベツは、あしりべつ・清田のことです。
1号と2号の合計地積は、80万8875坪2合5勺 の面積でした。
2.有明の「公有地」の開墾について
公有地(有明)の開拓については、多くに方々が入植し開墾に当たっていますが、ここでは小村亀十郎氏による開墾について記して置く事にとします。
有明の開墾の祖、「小村亀十郎伝(小村長平編)抄録」より (札幌公文書館 所蔵)
場所 札幌郡豊平町大字月寒字三滝之沢
(前略)此の土地の開拓は女婿郁児をして担当せしめ、明治四十一年より開拓し、大正五年には既に四十幾戸の小作者の入地を見るに至れり、従ひて児童教育にも支障を感ずるに至り、公有地小学校の移転を当局に申請したるに、当局は移転費無きため却下せり、乃ち翁私財を擲(なげう)ち移転を完了し、又道路、橋梁の架設等公共事業に貢献数知れず、三滝の沢の開拓も郁児等の協力により拾年ならずして完了せり、 (以下略)
と、「小村亀十郎伝事蹟」に記してあります。
1町は3,000坪です。1町≒1haですから、約225haの開墾を為した事になります。
左図及び下図は、1916年(大正5年測図)、大正8年2月28日発行の地図です。
現在の「ふれあいの森」の辺りに「三瀧澤」と地名が記されてあります。その事から、小村亀十郎の開墾地がこの周辺一帯であった事が予測できます。
有明の開墾は、小村亀十郎氏によって試みられましたが、両側が山に挟まれた地形であるため、畑地の確保は出来たのですが、広い水田の土地が望めなかったため離農者が多く、戦後になって少しずつ開けていきました。
「公有地教育所」については、明治44年4月に設置(現地番95番地)された「厚別尋常小学校付属特別教育所」が始まりです。
続いて、公有地(有明)の中央付近に、大正5年8月~昭和23年10月まで教育所が所在(左図)しました。
校地面積900坪・校舎面積42坪の教育所です。
現在の「南有明」バス停の南側付近(現地番246番地)に在りました。
この移転した教育所は、小村亀十郎氏によって公有地(有明)の開拓者の子弟のために移設されたのでした。
現在の有明小学校(現地番141-2番地)は、昭和23年10月に現在地に移転新築し落成しました。(校地は1,195坪、その校地の内300坪は、川瀬鶴吉氏の寄贈によるものです。)
3.新琴似兵村の公有地について
「新琴似兵村公有地」は、「明治三十五年一月起 公有財産其他関係書類綴 新琴似兵村」の図面を見ると、二号と三号の地積が字厚別にあったように記してあります。(新琴似兵村の公有財産の一号地積は、「札幌郡発寒川上流官林」(盤ノ沢の上流)にあった事が関係書類綴に記されてあります。)
厚別の1箇所目の二号地積は、山部川の南側、真栄川・西真栄川の北側に当たる地域となります。現在のハイテクヒル真栄・アンデルセン福祉村・北嶺中高等学校等が置かれています。
そして、もう1箇所の三号地積は、現在の「定鉄真栄団地」に当たる地域となります。
「明治三十五年一月起 公有財産其他関係書類綴 新琴似兵村」より
左図面は、「屯田歩兵第一大隊第六中隊公有財産地(新琴似)二号・三号」です。
「札幌郡月寒村字厚別之圖 面積四拾六萬七千六百四拾七坪七合五勺(三號)」と記してあります。
「新琴似兵村屯田歩兵第一大隊第六中隊」(北大北方資料室 所蔵)には、二号・三号を合わせて<第三號>の地積としています。その合計面積が、46万7647坪7合5勺としています。
「新札幌市史」の月寒村の公有地の面積とも一致します。
現在地による「新琴似屯田兵村」及び「篠路屯田兵村」の公有地
図面の北側(茶色)の2か所は、新琴似屯田兵村の公有地です。公有地の面積は、467,647坪
図面の南側(緑色)の2か所は、篠路屯田兵村の公有地です。公有地の面積は、808,875坪
「新琴似兵村公有地」の1號地については、売却処分は早くに行われましたが、遠隔地にある厚別の公有地は、長く部有財産として維持されました。その後処分された財産は新琴似村の公共事業に充てられています。
厚別の「篠路兵村公有地」は、大正6年9月22日付けの「北海タイムス」に、全域に当たる80万坪の土地が競売に出されています。
収益は、篠路兵村の住区画一帯の造成や道路・学校・青年会運営等に投じられたとの事です。
記:きよた あゆみ