札幌市清田区の町内会連合会でつくる「あしりべつ郷土館運営委員会」が管理運営しています。

昭和27年 清田の「保育所」の始まり(改定)

  • HOME »
  • 昭和27年 清田の「保育所」の始まり(改定)

昭和27年 清田の「保育所」の始まり

1. 清田地区の保育所について

ゼンリンの住宅地
札幌市(南部郊外編)昭和45年度版<P67>より

 左の図面をご覧ください。
 厚別小学校(現清田小学校)の敷地内の右角に「清田消防署」が記され、それに隣接して「清田保育所」が記してあります。
 「清田保育所」の建物は、「公民館」でした。

 昭和33年に、「保育所」の基となる、「豊平町公民館」が厚別小学校(現清田小学校)の敷地に設置されました。地域の諸活動(講演・料理・手芸・生花・書道など)が行われる場となりました。
 また、この「公民館」は、「清田季節保育所」としても利用されたのです。

 「清田保育所」の発足については、「平岡農事実行組合創立六十周年記念史 ひらおか」(1999年10月発行)<P197 参照>に、概略が記されてありますので転載します。

  (季節保育所との関わり)
 この地域は畑作、水田、果樹等の混合経営の農家が多く、日々の作業に多忙を極め、幼児を持つ家庭では農作業と育児の両立が大変で、幼児を預ける保育施設が待望の課題でした。
 しかし、戦後のこととて利用できる建物、設備もなく時がすぎて行きましたが、その状況に深い関心を持たれた故相馬一弘さんが中心となり、地域有志の方々に働きかけ、多くの困難を克服して昭和二十七年四月、清田小学校の一角にあった旧校舎改造の青年会館を借り受け、託児所(後・清田季節保育所)として開設の運びとなっています。以後現在の認可保育園移行の昭和四十五年まで十九年間にわたり、地域の自主的運営が継続されています。
 私も二人の息子を保育所に預けたのが縁で、昭和三十八年から運営を手伝うことになりましたが、当時は保母職員三名で百人前後の幼児を保育する状態で、預かる方も大変だったと思います。
 なお、季節保育所を運営する経過の中で、昭和二十九年に北川成好様から平岡五十二番地(現・清田一条三丁目七-十)に将来の保育所建設用地として四百五十坪の土地の寄贈を受けています。この北川さんの尊い篤志が基礎となり、昭和四十五年に保育園の運営母体となる「社会福祉法人清田福祉会」を設立、初代理事長に水上繁雄さんが就任され、認可保育園として充実した園舎が落成し、今日まで多くの子どもたちの幸せを守り、地域に親しまれる保育園として発展できたことを、運営を預かった一人として感謝に堪えません。

 「清田保育所」の当初は、『昭和二十七年四月、清田小学校の一角にあった旧校舎改造の「青年会館」を借り受け、託児所(後・清田季節保育所)として開設の運びとなっています。』と記してあります。通年ではなく、幼児を預ける「託児所」(農繁期の「季節保育所」)として発足しています。
 注:「青年会館」は、清田小学校の西角に、昭和9年(1934年)に新設されました。

 その後、昭和33年(1958年)に「公民館」(季節保育所)が新設されたため、「青年会館」に代わって保育が行われました。昭和27年(1952年)から昭和45年(1970年)の19年間にわたり、地域の自主運営で、幼児の保育がなされた事となります。
 幼児教育というよりも、農繁期(田植えの時期や稲刈りの時期)に幼児の面倒を見てもらう事が目的の施設といえます。

2.新設の「清田保育園」の創設
 「季節保育所を運営する経過の中で、昭和二十九年に北川成好(なるよし)様から平岡五十二番地(現・清田一条三丁目七-十)に将来の保育所建設用地として四百五十坪の土地の寄贈を受けています。」と記してあります。保育園の敷地の確保ができたのですが、建物の資金が課題でした。

 その土地については、下図をご覧いただきたい。地番は、真駒内御料線が開通する以前は、「平岡」に属していたのですが、開通後は地番が「清田」と変更になっています。

ほっかいの住宅地
札幌市(豊平区)昭和53年 発行版<P190>より

 念願の「清田保育園」は、真駒内御料線の西側、清田緑地の東側、清田小学校に近い箇所に、昭和45年(1970年)新設されました。
(左図のの円の箇所です。)

 注:「公民館」の建物は、老朽化のため解体され、昭和47年(1972年)に「豊平区清田出張所」が新設されました。その後、「あしりべつ郷土館」として活用される事となります。
 「社会福祉法人 清田福祉会 清田保育園」(認可保育園)の要覧がありますので、「清田保育園」の概要を要覧より転載します。次のような内容となっていました。

※ 新園舎の開園は、昭和45年(1970年)11月となっています。

「社会福祉法人 清田福祉会 清田保育園 要覧」より
< 保 育 園 舎 の 外 観 図 >

 北川成好(なるよし)氏から450坪の寄附の他に、札幌市からの土地の付与を受けました。
 建設費1,000万円にて「清田保育園」の園舎が完成しました。

「社会福祉法人 清田福祉会 清田保育園 要覧」より
< 平 面 図 >

室  別  面  積

 様々な施設の整った「保育園」が出来て、預かる保育士さんも預ける家庭の方々も安心したことと思われます。
 その頃、豊平区の清田地域には「保育所」がありませんでしたから、幼児を託せる施設は大きな意味合いを持ったといえます。
 写真の園舎の外観がかなり変化しています。その後、補修・改修を行ったと推測します。

平成11年(1999年)8月6日 撮影 「清田保育園」
「平岡農事実行組合創立六十周年記念史 ひらおか」より

ゼンリンの住宅地図
1997年(平成9年)度版
豊平区<東部版> P29 より

 「清田保育園」の敷地の概要が把握できる図面とな
っています。

 正面の左側のドアは、管理人室の入口で、その隣に
あるドアが保護者・子どもたちの入口、玄関です。
 2階部分には、保育士さんの会議室および休養室
の2部屋が設置されてありました。

3. 旧「清田保育園」の閉園と新園舎での出発

 昭和45年(1970年)10月25日に竣工した「清田保育園」は、平成12年(2000年)に至ると、築年数が30年となり、設備その他の点で、大幅改修を迫られました。
 その事を契機として、新園舎を平成14年(2002年)12月1日に、清田区平岡1条2丁目11-30に転居・新設し開園しました。

 新園舎は、広い敷地と施設の整った園舎となり、再び「清田保育園」として、子どもたちの成長のため、豊かな保育を目指して出発しました。
 現在の園長は北川洋一氏(北川家の5代目)ですが、少し前まで北川栄一氏(4代目)が新園舎の園長をなされておりました。

 北川家については、初代は北川七郎右ェ門氏(嘉永元年<1848年>8月生)で、明治26年(1893年)3月、46歳の頃に石川県羽咋市(はくいし)より真栄地区に居られた同県人を頼って渡道され、現在の平岡に入植されました。2代目が七三郎氏で、3代目が北川成好氏となります。
 北川成好氏は、旧「清田保育園」の土地を寄附された方ですが、「とよひらものがたり ~古老をたずねて~」(平成4年3月出版)に依りますと、昭和26年(1951年)より豊平町議会議員を二期務められ、昭和52年より民生委員をなさり、昭和55年(1980年)には、藍綬褒章を受賞された篤志家です。 北川家の歴代の方々が地域のために貢献されておられます。

記:きよた あゆみ(草之)


最近のトピックス

イベント案内

リンクサイト

アーカイブ

PAGETOP
Copyright © あしりべつ郷土館公式ホームページ All Rights Reserved.
Powered by WordPress & BizVektor Theme by Vektor,Inc. technology.