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昭和48年頃 「真駒内御料線」の開削

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昭和48年頃 「真駒内御料線」の開削

1.道道真駒内札幌御料線のこと
(1)「道々真駒内御料札幌線」の始まり
 「道々真駒内御料札幌線」については、今後「真駒内御料線」と記します。
 下図は、国土地理院の1935年(昭和10年)修正の地図(部分)です。

 「真駒内御料線」が地図の中央(平岡地域)を、南北に走っている状況が確認できます。
 しかし、途中で方向が東側に向き、旧国道36号線とは直線で接続していません。
 旧国道36号線(札幌本道・室蘭街道)からは、明治の頃より「あしりべつ(厚別)南通り」と呼称された通りが南へと通じていました。けもの道による生活道路でした。
 その後、「真駒内御料線」は、この「厚別南通り」と繋がることとなります。
 ところで、地図の中央(平岡地域)を、南北に走っている道路について記します。
 この道は、明治27年7月30日に下付された、「山鼻屯田給与地」(合計地積 約140万坪)の西側の区画の小道でした。陸軍省が、境界を明確にするために開削した道で、時代によっては、判然としなかった時もあったようです。

(2)「山鼻屯田給与地」の区画の概要

 昭和48年 航空写真図化(札幌市発行)による平岡地域の「山鼻屯田給与地」

○ 給与地の広い面積の概略は、以下のような周辺地域を含んだものでした。
 ・右上角は、雪印種苗の付近となります。
 ・左上角は、大谷地病院の付近に当たります。
 ・中央の横線は、東北通・東栄通で白石村(上)と月寒村(下)の境界線でした。
 ・右下角は、里塚緑ケ丘3丁目ホクレン付近です。
 ・左下角は、中央バス平岡営業所の付近です。
 ・右下から左上に流れている川は、「三里川」です。

(3)「山鼻屯田給与地」(陸軍御用地)の概略図面
 下図は、「山鼻屯田給与地」の土地状況の概略を筆者が作成し記したものです。

 左側に、仮に「道道真駒内御料札幌線」4間巾(7.2m)と記してみました。
 長さにして、南北 約1,177間(約2,120m)の長さとなっていました。
       東西 約1,216間(約2,189m)の幅となっていました。

(4)「真駒内御料線」の開削以前と開削以後について

 下図は、国土地理院の1950年(昭和25年)修正の地図です。(開削以前の地図)

 旧国道36号線が、地図の下部を走っています。
 道路の側には、厚別神社や現清田小学校が記してあります。
 学校の東側に厚別南通りが在りましたが、「真駒内御料線」はこの通りの東側に開削されました。
 また、厚別南通りから、平岡への径(坂の上への径)が見えますが、開削によって整備される事となります。

 下図は、国土地理院の1975年(昭和50年)修正の地図です。(開削以後の地図)

 左図が、完成した、「真駒内御料線」です。
 「真駒内御料線」の工事は、端的には、あしりべつ神社と厚別南通り・坂の上への径の間を開削した通りとなります。
 古くから使用された小径を残す形で開削されました。

 古くからの小径沿いには、多くの家並みが数多く在りましたから、移転させずに道路を造成したのです。

(5)「真駒内御料線」の開削以前と開削以後について
 国土地理院の1970年(昭和45年)修正の地図です。

 〇昭和45年頃の地図を基に、その頃の様子を記してみます。
イ)「厚別川」について
 厚別川の直線化工事が進められ、「新国道36号線」から以南の工事が完成しているようです(厚別川の直線化の完成は、昭和51年でした。)
ロ)「国道36号線」について
 「新国道36号線(北野~里塚 間、開削)」の直線化工事が進められていますが、完成をみていません。(工事は、昭和44年頃より進め、昭和46年に完成しました。)
ハ)「真駒内御料線」について
 「真駒内御料線」は、現在の北野通との交点(清田1条3丁目・平岡2条1丁目)まで伸びています。しかし、「真駒内御料線」は、開削されていません。

(6)「真駒内御料線」の開削途中の街並み
 「ゼンリンの住宅地図 昭和45年(1970年)度版 札幌市豊平区(部分)」
 昭和45年度版の住宅地図に、「新道路工事中」と、記してあります。
 しかし、昭和44年度版の住宅地図に、「工事」はなされていませんでした。
 住宅地図ですから、前年度の様子を記しています。
 工事は、44年度頃に行ったと推測します。
 あしりべつ病院は、旧道の厚別南通りに面して設置されて在り、新道の側に増築したのは、その後になります。

 「ほっかいの住宅地図 昭和49年(1974年)度版 札幌市豊平区(部分)」
 44年度版地図の石田義夫宅・平岡会館・張間四郎宅付近から厚別神社の西側を通って、「真駒内御料線」の道路が繋がった形となりました。

 「新国道36号線(北野~里塚 間、開削)」の直線化工事が、昭和44年頃より進められ、昭和46年に完成しましたが、その付帯工事のような形で「真駒内御料線」の工事を行ったように思われます。
 御料線の工事は、昭和48年に一応完成しました。

 注:「真駒内御料線」の工事は、令和の現在も有明地区で拡幅工事が続いております。

(7)「真駒内御料線」の道路について
 下図は、厚別区から清田区の真栄付近までです。

 国土地理院の1975年(昭和50年)修正の地図です。
「真駒内御料線」
<道道341号線>
「起点」は、札幌市南区常盤6条2丁目(国道453号交点)

「終点」は、札幌市厚別区厚別南4丁目(国道274号交点)

路線延長:20.8km(総延長)の道路となります。

 清田区の場合は、「山鼻屯田給与地」があり、道路の道筋が在る程度決まっていました。
 平岡付近から、真栄付近までの道路開削により路線が繋がりました。

 真栄から有明方面は、既存の「あしりべつ南通り」が出来ており、拡幅工事や曲線の道路の直線化工事に因って、通行がより利便性が高いものとなりました。

2.まとめとして ~現在の真駒内御料線~
 下図は、マピオン地図による、現在の「真駒内御料線」と新国道36号線周辺です。

 「真駒内御料線」は、「北野通」と交わり、南進すると旧国道36号線と交差します。
 更に、清田区役所を過ぎ「西友清田店」の箇所で、「国道36号線」と交差しています。
 そこから有明の方に向かいますが、その通りは、「厚別南通り」と呼称された通りです。
 但し、「厚別南通り」の起点は、清田小学校の東側、旧国道36号線との交点が起点となっていました。前出の地図に、その道が記されております。参照ください。
 「真駒内御料線」と「厚別南通り」の交点は、国道36号線を過ぎた直近に在る事を、上記の地図で確認ください。そこからは、旧来の「厚別南通り」となります。
 「真駒内御料線」は、真栄・有明・滝野すずらん丘陵公園を過ぎて、起点の南区常盤6条2丁目へと達します。(国道453号線が交点となります。)この道は、ゴルフ場や白旗山、滝野公園等へと向かうため、行楽に利用される方が多いと思われます。

きよた あゆみ(草之)

<付 記>

 区政施行二十周年記念「とよひら物語 ~古老をたずねて~」(平成4年3月発行)
編集 各地区とよひら〝ふるさと再発見″委員会 ・ 発行 札幌市 には、御料線の思い出として、水上繁雄氏の次のような逸話が語られています。

  御料線から望む昔の風景   水 上 繁 雄  (平岡四条一丁目)
    (中略)
 通路と川
 御料線(厚別滝野公園通り)なんて笹の原っぱで、道路は人が歩ける程度の山道でした。遠藤さんへ(平岡七条二丁目)の付近までは行けた。御料線は、大正時代だったか、囚人がつけたらしい。この付近で一番良い道路で、札幌夕張線まで続いていた。道路沿いの様子は、崖のような火山灰の山の間を水が流れ、削りとられるようになっていたんだ。 (後略)

 左記の写真は、「昭和30年代の真駒内御料札幌線」

との説明書きが、水上氏のお話しと共に添えられられてあります。

 

 

 水上 繁雄氏のご自宅は、平岡4条1丁目ですから、真駒内御料札幌線に面にしておられます。陸軍省が保持していた土地140万4千坪を、「山鼻屯田給与地」として明治27年に下付されましたが、その土地を水上氏は、明治43,4年頃に買い取られたとのことです。
 そして、「御料線」の銘々について、「囚人が付けたらしい。」と話されておられます。
 噂話かも知れませんが、当時囚人道路はいくつもありましたから、「山鼻屯田給与地」の境界を明確にするため、囚人が道路の開削を行ったのかも知れません。


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