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昭和51年頃 トンネ川が清田川と合流

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昭和51年頃 トンネ川が清田川と合流

はじめに
 清田区の清田地域を流れるトンネ川と清田川は、それぞれ1つの川として流れていたのですが、近年になって2つの川が合流した形で流れています。既に合流していますので、関心が薄いかも知れませんが、清田の地域全体に関わる河川改修に依るものですので、少しでもお読みいただけましたら幸いです。

1.昭和25年 国土地理院地図より

 昭和25年頃の地図では、トンネ川流域が水田となっていて、トンネ川の川筋さえ分からない位、田圃となっています。清田川も同様に水田地帯となっています。
 当然2つの川は合流しておりません。
 そして、まだ新国道36号線(北野~里塚間)も開通していませんでした。
 厚別川の蛇行はかなりの様相を示すくらい左右に折れ曲がっております。川の直線化の工事も行われていない頃の地図となります。

2.ほっかいの住宅地図 <豊平区版> 昭和49年(1974年)

 新国道36号線が開削されております。
 30年代後半から40年代にかけて団地が造成されていました。
 トンネ川の川筋が新国道36号線の辺りで暗渠化をしたような形跡を感じます。
 未だトンネ川と清田川は、合流しておりません。
 いつ頃合流したのでしょうか?

<注>羊ヶ丘分譲地(国際大学の南側)は、「昭和42年~44年」にかけて土地販売がされていました。「有楽土地株式会社 札幌支店」の販売に拠るものです。現在、販売会社社名の「有楽町内会館」は、国際大学の通りと国道36号線の交点に当たる付近に在ります。
 トンネ川が団地造成によって埋没(暗渠化)した可能性が大きいと思われます。
元のトンネ川は、馬背山(ヤマダ電機)の箇所をU字に流れていました。
<注>トンネ川・清田川の合流と「国道36号線(北野~里塚 間、開削)」
 「国道36号線(北野~里塚 間、開削)」の工事は、昭和44年頃より直線化工事が進められて、昭和46年に新国道36号線として完成しました。
 北野~里塚間の直線化の完成には、明治6年から、ほぼ100年の歳月が必要であったと言う事になります。道路工事という事で、トンネ川と清田川の合流工事には関わりがありません。

3.昭和50年~51年 国土地理院地図 (1975年~1976年)

 清田川の河川工事を行っている途中のよう  な状況です。トンネ川は、未だ清田川と合流しておりません。
 トンネ川の川筋が、右に曲がっているのは、工事中だったと思われます。
 河川工事を行っていた事だけは確かです。
 地図のみで、工事の内容や進捗状況の詳細は分かりませんので説明を控えます。
 そこで、50年頃の厚別川の状況を探る事としました。

<注>「羊ヶ丘通り」の整備に関連しての工事で合流したのではないか?
 「羊ヶ丘通り」は、昭和48年(1973年)に整備を開始し、平成2年(1990年)に厚別東通までの札幌市内区間が開通しています。

4.ニュータイプ 札幌区分地図 エリアマップ 昭文社 昭和62年1月発行
 「羊ケ丘通り」の工事に先駆けて合流 したのではと考えたのですが・・・
 この地図では、「羊ケ丘通り」が工事中です。完成しておりません。
 「羊ケ丘通り」は、清田川の「羊清橋」の付近までで未完成となっています。
 そして、「羊ケ丘通り」が開通する以前に、清田川とトンネ川がすでに合流していました。
 という事は、「羊ケ丘通り」の工事が、 清田川とトンネ川の合流に関係がないと言う事になります。

5.ほっかいの住宅地図 <豊平区> 昭和53年10月発行

(ほっかいの住宅地図の場合、53年発行は、昭和52年調査で、地域の状況は、前年の52年と考えています。)
 「羊ケ丘通り」工事が、2つの川の合流に関わるような状況となっていません。
 「羊ケ丘通り」工事の10年前に既に、清田川とトンネ川は合流していました。
 「羊ケ丘通り」工事は、2つの川の合流に関わりがないことが感じられます。

 ところで、この地図を見ますと、厚別川が直線化しています。清田川・トンネ川の川筋が整然とした感じとなっています。
 先の、「昭和50年~51年 国土地理院の地図」と比較すると、どうも、トンネ川と清田川の合流の時期は、昭和51~52年頃ではないかと予測がつきそうです。

6.厚別川の直線化工事
 結論から記すと「トンネ川と清田川の合流」は、厚別川の河川改修(川の直線化)工事に伴って行われたと言えます。
 厚別川の河川・河道の整備や築堤が完成したのは1976年(昭和51年)のことです。
 厚別川の河川の直線化を進めるに当たっては、改修工事も大変だったようです。
 清田地域では、特に蛇行の多い箇所となっていました。『北海道庁では、河川改修工事を行うにも、両岸に雑木や竹笹が繁茂して川辺に近づくことすら困難で測量もままならなかった。その連絡を受けて、河川改修期成会(昭和35年発足)と地域住民が5ヶ月かけて両岸の樹木などの伐採を協力して行い測量に漕ぎ付けた。』という逸話もあります。
 尚、厚別川河川改修は、上流域の真栄・有明地域が先に行われていきました。
 (「トンネ川と清田川の合流」工事は、その一環として行われたと思われます。)
 昭和38年には部分改修の完成を見ています。その後も改修工事が続けられ、昭和43年には、国道36号線までの改修工事(直線化)が行われました。
 最終的に河川・河道の整備や築堤が完成したのは昭和51年(1976年)のことです。

大正5年

昭和45年

昭和50年

上記3枚は、国土地理院地図

 時代を追うと、厚別川の蛇行の川筋が、すっきりと直線に近い川筋に変化を遂げています。
 昭和45年の地図では、大谷地地域12号線までと真栄・有明地域の工事は、概略完成を見ています。清田地域については、直線の水路となっていますが、築堤の完成は未だ工事途上のような状況(地図の上では)です。

 そして、厚別川の直線化の完成と共に、トンネ川と清田川の合流工事も完成したという事です。2つの川の合流の時期は、先ずは厚別川河川工事が完成した昭和51年として置きたいと思います。今後の検証をお願いいたします。

7.厚別川の河川改修工事
 厚別川の河川改修は、豊平川の捷水路(しょうすいろ)の工事に関わりながら、厚別川の河口付近から進められていきました。

石狩川・豊平川治水工事の概要(札幌近郊について)
(国土地理院 昭和56年編集20万分の1図による)

 厚別川は、現在豊平川に合流していますが、捷水路により、川筋は大きな変化を遂げています。
 捷水路(しょうすいろ)については、河川が蛇行し曲がっている部分を直線化して、洪水などの被害を防ぐために人工的に開削された水路の事です。
 左図では、石狩川・豊平川の捷水路の工事状況を示しています。


 上記の治水工事により厚別川は、一旦野幌川と合流し、その後厚別川捷水路を通って豊平川捷水路へと流れる水系となりました。

まとめとして
 厚別川1つをとっても、名称が「アシュシヘツ」「アシシベツ」「アシリベツ」等と変化し、川の流れについても、かなり蛇行の多い川筋でしたが、直線化工事により昔の川筋とは大きく変化を遂げ、堰堤・河川敷も整備された川となっています。
 厚別川は、現在豊平川に合流している川となっていますが、豊平川自体が流れ(川筋)を変えている川です。
 遠山金四郎景晋・村垣左太夫定行の記した「遠山村垣西蝦夷日記」(幕末期)には、豊平川の川筋が切り替わった年代について、享和元年(1801年)か翌年(1802年)と記しています。
 豊平川(フシコサッポロ川)は、享和元年か2年以前は、現在の伏古川筋を辿り茨戸付近より石狩川に注いでいました。「フシコ」は「古い」を意味し、豊平川の古い川筋という意味になります。
 その後、豊平川(サッポロ川)は対雁(ついしかり)川筋へと方向を変え、厚別川(アシユシベツ)・野幌川を支流としながら対雁(トイシカリ)附近で石狩川と合流する川筋になりました。
 豊平川と合流する以前の厚別川の様子を想像すると、モエレ沼方面に流れていたのだろうか?
 さもなくば、下流域は大きな湿地帯のみずうみの状態だったのだろうか?
 「谷地眼(やちまなこ)」の存在する流浪の回流沼(永田方正氏の主張する)の流れであったのだろうか?・・・・・等と想いが馳せるのです。
 そんないにしえの厚別川の流れを思い浮かべながら、秋空のもと、ゆったりと堰堤を散歩しながら桜の木の紅葉を眺めて見るのも一興かと思います。

 記:きよた あゆみ

<本編>明治30年頃 トンネ川とカクサボシ橋

<外伝>昭和51年頃 トンネ川が清田川と合流

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