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明治初期 清田地域の地層

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明治初期 清田地域の地層

はじめに
 清田地域の地層は、昭和40年代からの宅地造成によって住民が住み良いように造り変えられ、明治から昭和初期の原型を残していない状況となっています。
 しかしながら、工事等で土地の掘り返しをしている地層を見ると、火山灰が多く占めていることが感じられます。多くの書物には、清田区周辺の土地は、古に支笏火山の噴火が在って、その火山灰が降り積もったものであると記してあります。
 そこで、先ず「支笏湖」の成り立ち(火山噴火した経過)を、出来るだけ簡明に記してみたいと思います。

1. 支笏湖の成り立ちの経緯

(1)現在の支笏湖
 湖の周囲は、約40キロメートルで、直径の最も長い箇所(東西)で13キロメートル、南北の最も短い箇所で約5キロメートルとなっています。水深は最深部363mで、日本国内では田沢湖423m(秋田県)に次ぐ深さです。貯水量(湛える湖水の体積)は、約20.9立方キロメートルと、滋賀県の琵琶湖(約27.5立方キロメートル)に次ぎ日本で2番目です。湖の貯水量と支笏火山の体積を加えた量が噴火して火山灰となった事が想定されます。
 湖の貯水量の約2倍以上の容積が各所に降り注ぎ、火砕流となって流れたと言えます。

(2)支笏湖の周辺の主な山々
 北側から右回り(時計回り)に紹介します。
 北側― 恵庭岳(1320m)、イチャンコッペ山(829m)、紋別岳(865m)
 東側― キムンモラップ山(478m)、モラップ山(506m)
 南側― 風不死岳(1102m)、樽前山(1022m)、多峰古峰山(たっぷこっぷやま・661m)
 西側― 丹鳴岳(になるだけ・1039m)、フレ岳(1046m)、小漁山(こいざりやま・1235m)、漁岳(いざりだけ・1318m)

支笏湖の周りは、上記のような大きな山々(カルデラ壁)で囲まれております。
これらの山々は、支笏火山のすそ野周辺を形成する位置に所在しています。

(3)支笏湖の語源と成り立ち
 支笏湖は、アイヌ語の「シ・コッ」(大きな窪地)に語源を持つ湖です。
 支笏川(シコツ・ペッ)は、日本語で「死骨」に通じることで縁起が悪いとされ、1805年(文化2年)に現在の「千歳川」に改名されました。
 支笏湖が出来る以前は、支笏火山がこの位置にあり、およそ4万年前に起きた激しい火山活動によって「支笏カルデラ」が出来、その窪地に水が溜まり誕生しました。
 支笏の意味は窪地ですが、「カルデラ」の意味も窪地(陥没地)です。火山噴火によって出来た凹地が「カルデラ」で、地形用語です。
 そして現在、日本最北の不凍湖となりました。それは湖の深部に温かい水が残存していて水面を温めることにより水温が下がりにくいためです。

(4)支笏火山の爆発と火砕流
 支笏湖が出来る前は支笏火山でした。大きな火山だったのです。4万年前に噴火し、噴煙を噴き上げました。高さ約3万~4万m上空までにもなり、火山灰や軽石を降らせました。
 胆振地方、日高地方、根室地方や知床半島付近まで達したとされています。
 火山の噴火の勢いが弱まると、高温の火山ガスと火山灰や軽石などが一体となった火砕流が噴火口から流れ出すようになりました。火砕流(支笏軽石流堆積物)は高温で、600度から700度ほどもあり、低い所を這うように札幌方面等まで達したのです。

(5)カルデラ形成後の火山活動
 火砕流が噴火口から流れ出した後、カルデラが出来たのですが、その後、風不死岳(約2万6千年前)、恵庭岳(約2万年前)、樽前山(約9千年前)が次々と火山活動を開始し、外輪山を形成しました。現在も火山として活動をしています。
 3つの火山が活動をしたため、出来上がった円形のカルデラは、現在のようなヒョウタン形になりました。

2.支笏火山の噴火以前と噴火後の地形
新札幌市史 第1巻通史1 P67より

 左図は、支笏軽石流噴出直前の古地形(部分)です。
 軽石流の基底の等高線(単位m)です。
 支笏湖の北側に「白旗山近郊台地」と「野幌丘陵」があり、その西側に位置して「月寒台地」「焼山」が所在していました。
 東側には「馬追丘陵」があり、西側には「山地」(空沼岳・札幌岳などの山々)が連山を形成していました。

新札幌市史 第1巻通史1 P7「東部台地・丘陵地の地形区分」より

 左図は、噴火後の地形(部分)です。
 支笏火山の爆発の後の火砕流は、標高の高い台地・丘陵・山地部分の間を抜けながら、低い箇所を這うように流れて行きました。清田地域の各所は、高温の「火砕流」が流れ込んだと推測されます。
 火砕流が白旗山・焼山を通り抜けて、覆い重なり、滝野丘陵・輪厚台地・厚別台地・清田台地・月寒台地・西岡台地等が形成されました。

 新札幌市史 第1巻通史1 平成元年出版  付図1.札幌市地質(部分)より

 上記のピンク色の部分が、支笏火砕流(支笏軽石流堆積物)です。
 火砕流は、高温の火山ガスと火山灰や軽石などが一体となった流れですが、石山軟石(石切り場・現石山緑地)のように、高温でその熱と重力により冷えて固まり岩石(溶結凝灰岩)となったものもあります。清田地域の場合にも、有明地域(有明軟石)等、岩石(溶結凝灰岩)となった箇所もありました。

3.形成された清田地域の台地
 「新札幌市史 第1巻通史」には、「清田地域」他に関係する台地について記してありますので転載致します。<P8より>

 清田台地
 月寒台地の東縁を刻むラウネナイ川と厚別川にはさまれた台地である。この台地は月寒台地の一部と考えてもよいが、支笏軽石流堆積物によって形成されているので区分した。地形も小支流で刻まれ谷密度が高く複雑になっている。支笏軽石流は、焼山とその東南約4・5㍍の位置にある白旗山(標高321㍍)山塊との鞍部(現山部川流域)および白旗山山塊の東側を通って北方へ流下し、月寒台地の東縁に沿って台地を形成したのである。ここでは、山部川以北の月寒台地東縁部を清田台地とした。すなわち、清田団地(標高105~80㍍、傾斜3度以下)、静修短大(現札幌国際大学)-北農試東側敷地(同80~60㍍、同3度以下)、月寒東16~18丁目(同60~45㍍、同3度以下)、北野1~3丁目(同55~40㍍、同3度以下)、南郷18丁目白樺団地~市営バス白石営業所(同30~25㍍)などが位置する台地である。この標高30㍍以下の平坦面は前述した白石面の延長に当たる。
 厚別台地
 厚別川の東側、野幌丘陵まで広がる台地である。この台地も支笏軽石流の形成したものであり、ほぼ南北方向に流れる三里川、野津幌川により大きく三ブロックに区分される。それらは、厚別川寄りから、里塚霊園(標高100㍍、傾斜3~4度)、真栄高台(同90~80㍍、同3度以下)、平岡-北野4~5丁目-北星学園大学(同70~30㍍、同3度以下)と続く台地、白石区の上野幌-青葉町-ひばりが丘、厚別中央などが位置する台地、そして、東端はもみじ台団地-小野幌団地などの台地である。これらの厚別台地は緩やかな起伏に富んだ地形を呈していたが、大規模な宅地造成にともない原地形はほとんどその名残りさえとどめていない。
 滝野丘陵
 西岡台地・月寒台地・清田台地の南方には、標高250~200㍍、ほとんど支笏軽石流堆積物からなる丘陵地が恵庭市との境界まで続く。つまり焼山-白旗山山塊の背後にある丘陵地で、駒岡地区・自衛隊月寒演習場・滝野自然公園などが位置するところである。この丘陵地は、厚別川・山部川・月寒川・真駒内川などにより複雑に浸食され、稜線部は定高性を示しているが、平坦面は狭長である。

 清田台地・厚別台地・滝野丘陵の台地・丘陵は、支笏軽石流堆積物に依るものと記しています。支笏軽石流堆積物は、噴火口の高所から多い低地へと流れて地層を形成しました。
 軽石流堆積物が流れた当初は、それ程の起伏に富んだ地形ではありませんでしたが、厚別川・三里川・山部川・月寒川・真駒内川などにより、長い年月を経て複雑に浸食され、現在の地形・地層を形成するに至ったと記しています。

 支笏軽石流堆積物の状況は、以下の「北海道地質図」を参照ください。
  「北海道地質図 20万分之1 (4)-イ 中央南部」(部分図)
       北海道地下資源調査所 昭和28年~30年発行

                                     <筆者所蔵>
 火砕流の流れは、札幌の北側・千歳の低地(東側)へと流れて行った事が判ります。

4. 清田地域周辺の標高
 清田地域及び近郊は、支笏軽石流の堆積と浸食に依り、起伏に富んだ地形となっています。

 注:標高については、HP地図標高、その他の資料を参照しました。
 年月(調査年月日)に依り、標高に誤差がある事を容認ください。
 また、広い敷地では、測量位置に依り、誤差が生じる事を了承ください。
 資料に依り標高に誤差があり、記載は参考としてお受け取りください。

5. 樽前山の絵図「船越長善 札幌近郊の墨絵」 
 樽前山は、明治7年に噴火した際、開拓使の画家船越長善がその様子を描いています。
 〇 樽前山(たるまえさん・たるまいさん)噴火の絵図
「船越長善 札幌近郊の墨絵」より 彩色(北大植物園 所蔵)

 右上には、「タルマイ噴火崩陥二月八日午後八時札幌ヨリ遠望巳午ノ方直径凡十里余」と書き留めています。
 (甲戌)明治7年2月8日に真写した墨絵です。絵図の山々に、モンへツノボリ(紋別岳)・ヱニワノホリ(恵庭岳)・ヱンカルシへ(藻岩山)と記してあります。

「船越長善 札幌近郊の墨絵」(北大植物園 所蔵)

 右上には、「(明治7年)二月十日午後四時トマコマイヨリ」と記してあります。

 噴火の様子とトマコマイの村の様子が判る絵図となっています。

「船越長善 札幌近郊の墨絵」(北大植物園 所蔵)

 右上には、「千歳郡千年川下流字ヲサツトウ真景」と、記してあります。

 山々には、タルマイ山・モンへツノホリの記載があります。

「船越長善 札幌近郊の墨絵」

 右下には「二月十四日午後十一時 千年郡イサリ野中ヲ望」と記され、山々には左側から夫々に、ヱニワノホリ・モンへツノホリ・ヱニワノホリ・イチャノホリ・モラップノホリの山名が記載されています。

6.樽前山などの語源について
 〇「樽前山」は、樽前川の語源からきているようです。「タオロマイ」は高岸川(高い岸が続く川)」で、語の通り読めば「高岸・ある・もの」。「もの」は川の意らしいのです。
 その先に在るのが山で「タオロマイ・ノホリ(ヌプリ)」樽前山となります。
 〇「恵庭岳」は、「エ・エン・イワ」「ヱニワ・ノホリ」で、「頭・とがっている・山」との意の語源となります。
 〇「風不死岳(ふっぷし)」は、「フップシ・ノホリ(ヌプリ」で、「椴(トド)の木・多い・山」の意となります。

7.樽前山を形成する山々
 樽前山の「西山」は、千歳市に位置し、標高994mの山で世界的にも珍しい三重式活火山として知られています。中心部にあたる樽前山(1041m)は溶岩ドームで登頂はできません。
 樽前山の「東山」は、千歳市と苫小牧市の境に位置する標高1022mの山です。内側の外輪山が最高峰で、この東山が、登頂可能な最高地点となります。
 樽前山の「北山」は、千歳市に位置する標高932mの山です。内側の外輪山をめぐる登山コースがあり、北山もその一座でとなっています。

8.まとめとして
 支笏軽石流堆積物は、清田地域の「清田台地」を造り上げました。
 清田団地(標高105~80m)、札幌国際大学-北海道農業研究センター側敷地(同80~60m)、月寒東16~18丁目(同60~45m)です。
 また、「厚別台地」を形成しています。里塚霊園(標高100m)、真栄高台(同90~80m)・平岡-北野4~5丁目-北星学園大学(同70~30m)と続く緩やかな台地を造り上げたと言えます。
 支笏軽石流堆積物が造り上げた土地は、数千年の風雨や河川の浸食によって、清田区の地盤の原型を構築し、明治期初期の地層を形成しました。

 さっぽろ文庫77「地形と地質」(平成8年<1996年>6月発行)より
 「札幌の地形鳥観図。札幌を中心に北東方面から見た地形。高い山地、緩やかな丘陵、台地、豊平川扇状地、石狩平野が見える。」と記してあります。

 年月は、樹木を生い繁らせ森林地帯の様相を成しましたが、その後の開墾者によって樹木の伐採があり、稲作や畑作などの耕作地となり、ついには住宅地となって堆積された支笏軽石流堆積物の本来の姿が見えなくなりました。
 地層の本来あった様相を知る事は出来なくとも、長年調査された地学者によってその記録が残されています。多少の差異はあるものの、「支笏軽石流堆積物」の膨大な量と自然の驚異を知るに十分です。
 「清田の地層」と表題をしましたが、数万年前の刻々と変化した状況の、一瞬の時間の中の大地に住まいしている事に少しでも関心を寄せて頂けましたならば幸いです。

記:きよた あゆみ(草之)


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