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明治14年 明治天皇ご巡幸

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明治14年 明治天皇の北海道ご巡幸

「御巡幸御行列圖」  小樽湊 御上陸之圖

明治天皇は、小樽上陸後、札幌・室蘭・森・函館等を御巡幸される

はじめに
 北海道に明治2年開拓使が置かれ、明治6年札幌本道が函館から札幌まで開削され、移住民や屯田兵によって開墾が始められます。そして、札幌中心部の街づくりが進められて約10年、未開の地であった本道に明治14年明治天皇の御巡幸が催されました。
 小樽から札幌まで(汽車)・札幌から室蘭まで(輦)・室蘭から森まで(舟)・森から函館まで(輦)の行程で順次道内の各施設を御巡覧されました。
その概要を札幌と清田周辺の地について記して置きたいと思います。
 注:輦(れん)とは、鳳輦(ほうれん)・葱花輦(そうかれん)のこと。天子の乗物。
 天皇の乗り物の美称。屋根の上に、金銅の鳳凰をつけた輿(こし)。

1.明治天皇、明治14年8月30日、札幌に到着
 北海道御巡幸された際の日程・時程の概略は、下記の通りです。
○ 8月29日 午前8時30分 青森発 特別船「扶桑」(ふそう)にて北海道へ向かわれる
○ 8月30日 午前5時00分 手宮港着
  特別お召列車の「義経号」にて手宮から札幌へ向かわれる。 午後6時40分発

  <列車の配列は以下の通り>
 義経号・中等・中等・上等・上等・御召車・上等・上等・荷物・荷物
○ 札幌駅からは馬車で豊平館へ向かわれる
○ 8月30日 午後9時30分 豊平館に御着輦

北海道大学北方資料室 所蔵

<御泊行在所の豊平館>
・8月30日から9月1日まで札幌御泊。
・御泊の豊平館には、3泊4日滞在される。
・豊平館は、明治12年春に着手起工、明治13年11月 竣功しました。
・明治13年12月3日に落成式。
・最初の御泊り客が明治天皇でした。
・建物以外の附属工事として、庭園・池の工事、周囲の門や冊などの外構が施されました。
・明治14年年8月にすべての工事が完了しました。

○ 8月31日 札幌御駐輦 (開拓使本廳・工業課構内・紡織所・麦酒製造所・苗穂札幌両村・葡萄園・農学校園・勧業試験場・競馬場などのご通覧)
○ 9月1日 札幌御駐輦 (真駒内牧牛場・山鼻屯田兵村・山鼻学校・札幌農学校・博物場・偕楽園内清華亭などのご通覧)

2.明治天皇、二里塚にての御小憩

「二里塚の百年」より

○ 9月2日 札幌郡月寒村 御小憩所
< 午前 8時05分 御着輦>

(現在の東月寒、当時の二里塚で御小休された)
「此の地、明治四年岩手縣民を募移し開拓せし處にして戸数六十五、耕地七十四町歩あり。」
(上記は「明治天皇御巡幸記」より)

月寒村は、戸数が65戸ありました。

<午前 8時40分 御小憩所を御発輦>

明治14年当時の月寒村(112円)及び豊平村(103円)・白石村(90円)・上白石村(52円)・平岸村(47円)の住民は、こぞって御巡幸に際し、寄付金を拠出しています。
(勿論、月寒村のあしりべつの人々も寄付をしています。)
その拠金を基に、上記の奉迎や小憩所の準備を進めて行きました。
天皇の御巡幸は、それ程に大きな一大行事となりました。
〇 札幌郡野幌 御小憩所 (野幌は、現在の大曲中学校の付近で御小休された)
「家宅を供奉人の休憩に供せし三宮榮蔵へ金二円を賜はる、此の地、人家は榮蔵一戸のみ。」
(上記は「明治天皇御巡幸記」より) 戸数は1戸のみでした。
<午前 9時40分 御着輦 ・ 午前 10時15分 御発輦>

○ 札幌郡島松駅 御昼行在所(あんざいしょ)(島松駅逓の中山久蔵宅にて御昼をとられた)
「久蔵へ行在所新築の廉(かど)を以て金三百円、御紋付三つ組銀杯並に御昼行在所御用を勤めしにより金二十五円を賜る。此の地、戸数五、稲田能く生育す。」
(上記は「明治天皇御巡幸記」より)  戸数が5戸のみのでした。
<午前 11時28分 御着輦 ・ 午後 1時30分発 御発輦>

3.島松からの御巡幸の行程
○ 9月2日 午後 4時25分 御着輦 千歳驛 御泊行在所 新保鐵藏宅
「此の地、戸数舊土人を併せて五十に過ぎず、以て多数の供奉を容るゝに足らずに由り、仮屋数棟を建てゝ之に充つ、縣燈道を挟み火光天に映ぜり。」
(上記は「明治天皇御巡幸記」より)
千歳は、江戸期にあって交易の要衝の地であり、勇払場所請負人 山田屋 文右衛門が歴代にわたり地域の支配権を有していました。アイヌの人々の戸数も多数ありました。

○ 9月3日 午後 5時55分 御着輦 白老驛 御泊行在所 大澤周次郎宅
○ 9月4日 午後 5時55分 御着輦 室蘭  御泊行在所 山中萬次郎宅泊
○ 9月5日 午前 7時30分 室蘭御召艦「迅鯨(しゅんけい)」~室蘭港出艦~午前11時00分 森港着艦
○ 9月6日 午前 7時00分 森村 御泊行在所 阿部重吉宅 御発輦
        午後 4時47分 御着輦 行在所 天神町(函館病院)醫学所内新築
(行在所は、函館有志者3000円拠金による建物)44坪餘の広さ
※ 7日に予定の函館の各所のご巡覧は、取り止めとなっています。
函館の御代巡は、久能親王が行っております。
○ 9月7日 午前 8時30分 函館発艦 御召艦「迅鯨」にて青森へ
      午後 3時00分 青森着艦

○ 9月8日 8日青森御駐輦・9日青森を御発輦になり、弘前・秋田・鶴岡・山形・米澤等ご巡幸され、10月3日栗子新道を経て福島に出で、10月10日に東京へ御還幸あらせられました。

 明治天皇の御巡幸によって、未開の地と思われた北海道の地に対しての国民の認識が大きく変わる事となったようです。その影響からか、その翌年以降、北海道へ期待を膨らませて渡道する人がかなりの人数となっていきました。

御巡幸より8年後の札幌市街

「札幌市街之圖 明治二十二年製図」より

・北側に札幌駅・西側に北海道庁・南側に大通・そしてその東側に豊平館が所在しました。
・豊平館の東に創成川が流れ、創成川の東には木工製作所等の工場が設置されていました。
・すぐ北側に札幌農学校・裁判所、西側に創成学校があり、官庁や教育に関係のある重要な諸機関の建物が周辺に配置されてありました。

「北海道御巡幸之図」 揚州周延画 明治14年

「明治天皇御巡幸記」 北海道神宮編より

※揚州周延(ようしゅう ちかのぶ)江戸末期から明治時代にかけての浮世絵師

記:きよた あゆみ


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