「清田緑地」のホンヘツ川のこと
1.「清田緑地」を流れる川筋の水源を求めて
「清田緑地」の裾野には、小さな川が流れています。川と言うより水のかすかな動きです。
「清田幼稚園」「清田区民センター」の東側を流れて「清田公園」を経て厚別川に合流していると思われます。清田緑地の雪解け水、降水によるものかと推定していたのですが、水量は絶える事がありませんから、そうでもなさそうです。
左の地図は、マピヨンの部分図です。
ほぼ「清田緑地」の東側の道路沿いに水が流れている状況を確認することが出来ます。
「清田緑地」内を散策すると、所々に湿地帯があり、春になると水芭蕉等の草花を水辺に見出します。
水量が多量であるとは言えませんが、一年を通してある程度の水量が流れている様子です。
そこで、この川の源流を辿る事としました。
左図は、「清田小学校沿革史」
昭和21年(1946年)の図面で、筆者の模写図です。(図の上に昭和21年の走り書きのメモ書きがありました。)
新校舎が設置されるに当たっての校舎と校地の配置図ではないかと思われます。
注目するべきは、図の左下に水路と「池田橋」と名付けられた橋があり、旧道(室蘭街道)を縦断して現在の「清田緑地」へと水の流れがある図面となっています。
「清田緑地」の水源の水路が、現清田小学校の敷地周辺に在ったと言う事です。
2.小さな川筋の流れの名前について
「明治十七年 札幌縣治類典附録 地所賣貸願 地理課」 (簿書8806)より
この図面は、石狩國札幌区月寒村十番地・長岡重治が、土地の願い出を明治15年6月23日に提出した図面です。
千歳新道(室蘭街道)沿いに各戸の名が記されています。
厚別川及び支流、「ホンヘツ川」の流れが描かれています。
「ホンヘツ川」には橋が架けられ、「清田緑地」への流れが見えます。
左図は、筆者の摸写図です。
現在の「清田緑地」へと流れる川の箇所に、「ホンヘツ川」と記されています。
この当時、緑地へ流れる川のことを、「ホンヘツ川」と呼称していたようです。
図面は明治15年、土地の願い出に添えられたものですが、その当時、厚別の人々の生活を支えた業種は、白旗山の伐木や炭焼き等が主で、清田周辺の水田開発のために水路を開削するなどは想定できません。
ですから、「ホンヘツ川」は、自然の川(流水)であったと思われます。
「ホンヘツ川」については、「ホン」は、小さい、「ヘツ」は、川の意で、「小さい川・小川」という意味になります。その通りの小さな流れの小川です。
〇上記の内容から、この項の記載のために、この流れの名を「ホンヘツ川」と記して進めたいと思います。ご理解ください。
3.明治13年頃の資料「取裁録 山林願」より「ホンヘツ川」の流れを探る
先の図面の資料ばかりでなく、他の資料も「ホンヘツ川」の類例として記して置きます。
「取裁録 山林願 明治十三年自四月至九月」について
明治13年頃になると、厚別地域の開発が進み、月寒村の人々や札幌区の住人がこぞって厚別山(あしりべつ地域)の伐木願いや炭竃設置の願いを提出しました。その記録が「明治十三年 山林願 取裁録自四月至九月 地理課」です。(道文簿書03863 北海道立文書館蔵)
この「山林願」(伐木や炭焼き等の許可)を提出する際、その中に「願出図面」が添付されました。その「願出図面」の中に「清田緑地」を流れていた水路を見出しました。
いくつかの「ホンヘツ川」の例を転載する事とします。
<例1> ○ 山夏第三十七號 (明治)十三年五月廿八日検印 より
図面には、「新道坂・字厚別川(右上の箇所)・雑木立・竃地所・中西・多七宅」と記してあります。
中西(安蔵)は、新道の南側に住まいし、(鈴木)多七は、新道の北側に居住していました。
中央に「ホンヘツ川」が流れています。
中西の「休泊所」の付近の橋を越えて、現在の「緑地」への流れが記されています。
<例2> ○ 山夏第七十八號 (明治)十三年九月十日検印 より
図面には、「新道・厚別川(図面の右上)・中西(安蔵)・雑木・大坂(逢坂)竹松 願地・長岳(岡)重治」と記してあります。
図の右端の厚別川にあしりべつ橋が記され、新道沿いの「ホンヘツ川」にも橋が架けられています。新道沿いの「休泊所」守の中西(安蔵)宅が記してあります。
上記の2つの例の様に、明治13年頃、まだ稲作のための水路(灌漑溝)を造作する余裕のない時期に、厚別川の東側に「ホンヘツ川」と思われる流れがあった事が分かります。
4.「ほっかいの住宅地図」より「ホンヘツ川」源流を探る
左図は、「ほっかいの住宅地図札幌市 豊平区 昭和49年度版(1974年)」です。
<注:上が北です。>
この中に、「清田緑地」への流れが記されてありました。
旧国道より、「清田緑地」への川筋が明確に描かれています。現在の川筋と比較すると、かなり蛇行していたようです。
「真駒内御料札幌線」の角地周辺まで流れが続いています。そこからは、道路下に水道管を埋設して流れを導いているようです。
現在、清田区役所周辺には、「札幌特殊ブロック会社」が在り、その敷地らしき外周を川の流れあったように記しています。
「ホンヘツ川」の川筋は、現在の清田区役所の裏側(崖地側)を流れていたのではないようです。
「札幌特殊ブロック会社」の敷地の西側を流れながら南側へと直進しています。
「札幌特殊ブロック会社」の南側の川筋は、本来蛇行していたと思われますが、宅地造成によって直線化されたと推測します。
5.「ゼンリンの住宅地図」より「ホンヘツ川」源流を探る
左図は、「ゼンリンの住宅地図
札幌市(南部郊外編)昭和45年度版(1970年)」です。
<注:上が北です。>
川筋を南へ辿って行くと、厚別川の支流としての流れであったことが分かります。
川筋は、右側(東側)の山地の地形に沿うような流れとなっています。
川筋の分流点は、現在の地図で、真栄331番地(厚別川・山部川・真栄川の交点より上流)に位置した地点(「真栄病院」の周辺)からの流れであったと推測されます。
このように、「ホンヘツ川」の流れは、昭和45年以前、地表から見える川筋の状況にあった事が判ります。
そして、その水源を稲作のために利用していたことが図から読み取れます。
下図、大正5年(1916年)と現在の地図とで、厚別川の流れを比較してみます。
マーカー下部の周辺より、「ホンヘツ川」の流れが北部に向かっています。その「ホンヘツ川」の流れを利用して、現在の厚別川の直線化工事を図ったような状況となっています。
マーカー下部の箇所に、現在、「真栄病院」の施設が建っています。
大正5年の時点では、厚別川は蛇行して「厚別南通(現、真駒内御料札幌線)」の方へ流れていました。
昭和45年度版図においても、厚別川の川筋は蛇行していました。
「ホンヘツ川」の川筋は、どちらも支流の流れであったと思われます。
左の写真は、現在の「真栄病院」の北側の様子です。
昭和45年当時、未だ「真栄病院」は、設置されていませんでした。
厚別川は、蛇行して写真の中央周辺を流れていた事が、大正5年図からも推測できます。
現在は、埋め立てられて畑地や住宅地等となっています。
上記、左の写真は、「真栄病院」の裏側(東側)の様子です。突き当りに橋が見えます。
右の写真は、「真栄病院」の裏側(東側)を流れる厚別川に架かる「農栄橋」です。
現在の厚別川は、先の図でご理解頂けると思いますが、完全に直線化され、「ホンヘツ川」であったと思われる辺りが改修(浚渫・河川敷・堤防の設置)されて、蛇行のない流れが下流(清田区役所方面)へと伸びています。
新緑の季節に、「真栄病院」の東側を流れる厚別川です。
橋の左側に「農栄橋」と記された銅板の表示が付けられていました。
それ程の水量とは思えませんが、雪解け水でしょう、サラサラと音をたてて流れています。
写真は、厚別川の傍ら(真栄5条2丁目8)に設置された「せせらぎ公園」です。
大正5年版地図、マーカー上部の位置です。
この公園は、「ホンヘツ川」の流れが北上する起点と思われる箇所に設けられたのではないかと推察しました。
6.国土地理院地図より「ホンヘツ川」を探る<その1>
大正5年(1916年)頃 「国土地理院地図」より彩色してみました
茶色は、旧国道36号線です。
太い青色は、厚別川です。
上部の黄色は、厚別北通です。
下部の黄色は、厚別南通です。
水色は、「ホンナイ川」です。
旧国道36号線より北側(上方)に流れている「ホンナイ川」は、「清田緑地」の西側の麓沿いに流れ、厚別川に合流していたようです。
その合流地点は、現「清田公園」周辺、から「清田高校」に至る箇所です。
清田区役所への川筋は、現在の「西友清田店」の東側を流れていたと推定されます。
「西友清田店」の南北駐車場を通り、現在の「清田消防署」の辺りまで流れていた様です。(川筋が埋設されて実態が捉えられません。)
その後、真駒内御料札幌線を縦断して、清田小学校の「ゆめたんぼ」の付近まで達していたと思われます。
更に、旧国道36号線を縦断し、「清田緑地」へと向かっていた事が図面から推測されます。
7.国土地理院地図より「ホンヘツ川」を探る<その2>
昭和30年(1955年)測量
昭和41年(1966年)修正測量
「国土地理院地図」より厚別川に彩色してみました
先に示した大正5年(1916年)とほぼ同じような地形・水系図となっています。
どちらも、まだ居住者がそれほど多くはなく、大きな建物もない時代ですから水系がはっきりとしていたと思われます。
特筆すべきは、川筋が東側(右側)に寄った地点に、「卍」の印が記載されています。
「卍」は、現在の平岡の「至勢山観霊院」と特定しました。
此の境内の地形は、湧水によって出来たと思われる急斜面の多い土地柄です。
何時の時代であるかは未詳ですが、周辺の土地状況にも影響があったと推測されます。
大正5年(1916年)頃の「国土地理院地図」と、昭和30年(1955年)測量「国土地理院地図」の2つの地図を比較してみます。
どちらも真栄の山部川・厚別川の合流地点より上流の箇所より、「ホンヘツ川」が分流して流れていた事が判明しました。また、厚別川の東側(右側)の「厚別台地」に沿うように川筋が在ったと言う事です。
川の水量は、厚別川の分流に依りますから、それ程多くはなかったと思われますが、「厚別台地」からの流れ(降雨・雪解け水など)と「厚別台地」の各所に因る湧水によって渇水する事なく、1年を通じて流れが保たれていたと考えられます。
8.「ゼンリンの住宅地図」よる「ホンヘツ川」川筋の変化
左図は、「ゼンリンの住宅地図
札幌市 豊平区 昭和45年度版(1970年)」です。
<注:上が北です。>
先の昭和41年度版に比べて、住宅化が進んだ頃の「ホンヘツ川」の流れです。
観霊院の周辺に川筋はありません。
国道36号線に沿って、真栄地域の開発が進み、川筋の変更があったようです。
左図は、「ほっかいの住宅地図
札幌市 豊平区 昭和54年度版(1979年)」です。昭和53年発行
<注:上が北です。>
更に宅地造成が進み、大きく西側に「ホンヘツ川」の川筋が変更されています。
自然の流れとは、全く異にする掘割された「く」形の流れに造成されています。
本来の流れを正確には記すことが出来ませんから、予想される川筋を左の地図に記す事は避けました。
本来は、直線と言うより、東側に緩やかに曲線を描いて流れていたであろうと推測されます。
「ホンヘツ川」の川筋は、昭和40年代頃から始まった宅地造成、住宅化の影響を受け、宅地に影響がないよう新規に掘割され、変化して行ったと推定されます。
9.清田区役所の「ホタル池」のこと ~「清田緑地」への川筋? ~
清田区役所の裏側(旧国道36号側)に「通称ホタル池」と呼ばれている池があります。
大きな「池」ではありませんが、少なくとも一年を通して流れがあると思われました。
旧国道36号側の急な斜面の下にある「池」ですから、坂の上(斜面の上の大地)からの湧水とも考えられますが、滲み出している形跡がありません。
上の写真は、5月中旬の「ホタル池」ですが、落ち葉が溜まり、渇水の状態でした。
下の写真は、7月中旬の「ホタル池」です。
上部の斜面は、大きな木が密生している状況です。湧水があるとすれば、崖崩れ等の危険があり、催しものなどは出来ません。
「ホタル池」は、巾1m、長さは30メートルほどで、毎年「ホタル観賞会」(生育に応じて、7月20日前後に1週間ほど 開催)をしております。
この「ホタル池」の水について、「流れ」があるような感じはありませんでした。
そこで、この池を清掃している方にお聞きすると、次のようなお話をされました。
ここは、造園業者によって整備されて、区民等の方々に「ホタル池」として親しんでもらおうと企画しているのです。(人工的に造った池のようでした。)
ほたるの幼虫は、区役所の中で育てて、時期になると池に放ち、「ホタル観賞会」をしているとの事でした。
ですから、「ほっかいの住宅地図 札幌市 豊平区 昭和49年度版(1974年)」での「清田緑地」への川筋の一端かと思いましたが、そうではありませんでした。
区役所を設置する際に、真栄の側からの「ホンヘツ川」の流れを裏側の崖下の辺りに水路(川筋)として改修したのではないかと一時推測したのですが、そのような工事はされなかったようです。
「ホタル観賞会」が終えると、秋から春にかけて水を抜き、次の年まで越冬する造成の「池」と言う事です。導水管などの設置はなく、仕立てた「池」となります。
10.結びとして
左図の「真栄病院(農栄橋)」から「せせらぎ公園」まで、厚別川の直線化工事がなされる以前は、先にも記したように「ホンヘツ川」の川筋でした。
「ホンヘツ川」の川筋を求め、「せせらぎ公園」から北側を辿ってみると、宅地造成がされて住宅地となり、川筋と思われる「通り」はアスファルト舗装の道となっていました。
周囲に「ホンヘツ川」の川筋の痕跡を全く探し出すことは出来ない状態となっていました。
と言う事は、最早「ホンヘツ川」の流れは途絶えたと言う事となります。
「せせらぎ公園」から道路を進み、突き当りに、左の写真の様な柵で囲まれた用地がありました。
近隣の方にお話をお聞きすると、ここは「元学校用地」(札幌の市有地)であったとの事でした。
その後、野球場として利用していたそうです。
学校用地が売却されたのか、その周辺はすべて新しい住宅が建っていました。
また、「この辺りに川が流れていた。」と聞いていますとお話されました。
その川の流れは「ホンヘツ川」のことであろうと首肯しながら聴き入りました。
更に北進すると、真栄団地への坂道に差し掛かかかりました。この状態では水路が絶たれると感じました。
左図は、「ほっかいの住宅地図 札幌市 豊平区 昭和49年度版(1974年)」です。
「定鉄真栄団地」が造成されたのは、昭和43年(1968年)頃から昭和45年(1970年)にかけてで、翌年から土地が売り出されています。
左図より、真栄団地への緩やかな坂道には、導管(水管)が敷設されたような形跡が窺えます。「ホンヘツ川」の川筋を止めずに工事が行われたと思われます。
ところで、厚別川の直線化工事は、昭和38年(1963年)部分改修に着手し、翌39年(1964年)全面改修工事に取り掛かり、昭和43年(1968年)国道36号線まで完成に漕ぎ付け、昭和51年(1976年)清田区中流域周辺の河川工事を完成しました。
厚別川の直線化工事をする際、「ホンヘツ川」に「川筋の導管」を施したものか、全て埋め立てたかについての詳細は不明です。「川筋の導管」の施行をする必要があったかと言うと、近隣の水田農家のほとんどが離農しておりますから、無かったのではと想定しました。
導管が有るとするならば、「雨水管」として施行されたのではと考え、「札幌市河川網図」(平成24年版)を当たってみました。すると、「真栄排水(北)」「真栄排水(南)」との記載を見出しました。
<凡例>に、――――は、普通河川、―●―●―●―は、暗渠河川と記されていました。
要は、平岡の国道36号線「真栄排水(南)」より清田緑地「真栄排水(北)」まで、「普通河川」及び「暗渠河川」を残している事が「札幌市河川網図」より判りました。
「真栄排水(南)」と「真栄排水(北)」の接続は未詳ですが、「昭和54年度版の住宅地図」からすると「雨水管」等で、続いていると思われます。
「清田緑地」については、川の流れが見える箇所と暗渠の部分があるとの記載です。
しかし、「真栄排水(南)」(平岡1条1丁目周辺)の現状は、令和6年(2024年)現在、地表に川が見えません。ですから、暗渠にしたのではと推測しました。
造成された各箇所の状況を概観すると、「清田緑地」への流れはかなり少なくなり、降水や雪解け水に依るものだけになっている可能性があります。
昔日の「ホンヘツ川」の川筋に郷愁を抱きつつ、これからも「清田緑地」の流れについて、更に調査を進めて行きたいと思っております。
記:きよた あゆみ(草之)