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明治期 清田地域の植生について

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明治初期 清田地域の植生について

はじめに
 現在の清田区の植生は、明治当初の開墾のための伐木、続いて畑作地や水田地等にするための土地耕作により、大きな変貌をとげています。そして更にその後、住宅化による造成工事が行われ、明治初期の植生がほとんど見えない状況となっています。
 そこで、少なくとも、明治初期に清田地域に生息していた植生(樹木類)について記録を辿りながら調査してみたいと思いました。時間が流れ、完全な形での復元は出来そうにありませんが、概略だけでもと思い試みた次第です。

1.「開拓史事業報告」に記された植生
 「開拓使事業報告」は、明治18年に発刊された開拓使の事業の記録です。そこには、札幌本庁が行った本道の山林に関する手立てが計画的に進められた内容が記されています。
 開拓史の初期の山林計画と共に「厚別(あししべつ)山林」の植生についても記されています。尚、この記述は、明治8年の「厚別(あししべつ)山林」の植生です。

厚別ハ札幌ヲ距ル三里餘地形平坦北ニ面シ土性宜ク木質良ニシテ札幌郡山林ノ最タリ椴、蝦夷松多ク楢、刺楸(ハリキリ)、桂等多シ近来多ク伐出ス

 ここで記載された「厚別(あししべつ)官林」は、現在の地域で、真栄地域・有明地域(公有地)・滝野地域(器械場地域・滝野すずらん丘陵公園を含む)となり、厚別川上流に及ぶ広範囲な面積となっています。
 明治8年に調査をした結果では、椴松(トドマツ)、蝦夷松(エゾマツ、)楢(ナラ)、刺楸(ハリキリ・別名センノキ)、桂(カツラ)等が多いとしています。

2.明治14年「風土略記 厚別官林」に記された植生

明治14年調査 札幌郡官林 風土略記
 開拓使 地理課 山林係

「圓山官林・野津幌官林・厚別官林・簾舞官林・発寒官林・砥山官林・白川官林・湯沢官林・八垂別官林・月寒官林・輪津官林・島松官林・札幌官林」
    以上13の官林の記載がある。

(北海道立文書館藏 簿書4616)

 

   風土畧記  第貳特撰官林字厚別官林
札幌市東ヲ通環スル一村アリ月寒村ト云フ室蘭街道ニテ村中ヲ切断シ該路線ニ從ヒ通進スル数十有餘丁右旋スル地ヲ総テ字厚別ト称ス月寒村ニ属スレトモ未タ判然ノ境域ナケレバ村名ヲ呼ブ能ハス該山ハ明治ノ初メ特撰セラレタル七官林ノ一ニシテ斧鉞(フエツ)(フエツ)ヲ禁スルト雖トモ近来人民ノ繁榮ニ從ヒ用材少カラズ故ニ官是ヲ察シ伐採許サレタリ
 (中略)
而シテ(厚別)川ノ両岸ハ嶮ナシテ恰カモ屏風ヲ立テタルガ如シ其山脉絁列シ下流ニ至ルニ從ヒ次第ニ流脉トナリ川ノ両岸モ平坦ニアラザレトモ亦嶮ナルニモアラズ而シテオ瀧ノ右側ハ僅カニ平坦ノ地アリテ該所ニ工業局附属ノ水車器械場ヲ設ケラルル見込ニテ調査ノ際ハ盛ンニ器械場ヲ建設シ懸官ノ出張所ヲ設ケ未タ全備ナラザレトモ殆ンド出来ニ近キニアリ該場ヘ水流ノ流通ハ瀧ノ上流ヨリ掘割シ其長サ僅カニ六十間有餘ナルベシ此場ニ属シタル個所ハ椴松蝦夷松夥多ナル他ノ良樹モ亦從テ少カラズ而シテ属シタル地積ハ千三百四拾七万九千八百五拾坪ナリ該山ノ樹木ハ針葉樹全山ノ三分一ニシテ濶葉樹モ又タ三分一ナリ余ハ針濶雑樹ナリ良樹多生スルハ梻(シキミ),岩楓(カエデ)、黄桐、椴松、蝦夷松等ニシテ其樹数ノ精査ヲ知ラント欲セバ別表ヲ制シタレド左ニ概表ヲ示ス  (以下略)

 ここでの記載は、厚別(あししべつ)官林についてで、1と同じ地域です。
 明治14年当時この付近には、エゾ松やトド松が非常に多く生息していたと記しています。
 樹木は、針葉樹が3分の1を占め、濶葉樹が3分1で、残りは針葉樹と濶葉樹が混然とした状態で繁っていたようです。
 木の種類は、梻(シキミ・ヤチダモ),岩楓(カエデ)、黄桐(キリ)、椴松(トドマツ)、蝦夷松(エゾマツ)等ですとしています。
 木の育ちにとって良い環境で、すくすく成長し良材が多いと記しています。

3.「北海道植民地撰定報文」に記された植生
 明治二十四年三月七日出版の「北海道植民地撰定報文」には、厚別(あしりべつ)・清田区の様子を次の様に記しています。抜粋となりますが、転載します。
 尚、厚別(アシリベツ)は、月寒村に属し、「豊平原野」の一部となります。

   豊平原野
  地理
西北ハ石狩街道及ヒ石狩川ヲ以テ界シ東商ハ野津幌山麓ヨリ室蘭街道ヲ以テ区画セル一地方ニシテ即チ札幌郡札幌、苗穂、雁来、丘珠、篠路、對雁、白石、上白石、月寒(ツキサップ)九村ニ延亘(エンコウ)スル原野ナリ
  面積
四千五百八拾貮萬坪
  
貮千六百三拾四萬坪   樹林地
壹千九百四拾八萬坪   泥炭地
右樹林地ハ耕転ニ適ス
  土性  (中略)
厚別(アツシベツ)川ノ下流ハ泥炭地中ニアリテ河口ヲ遡ル殆ントー里ニシテ両岸凡ー二町ハ表層二尺許ノ沖積土アリ以下ハ尚ホ泥炭ナり然レトモ鉄道以南月寒村ニ至ルノ岡ハ上層五六寸ヨリ七八寸許ハ腐植土ヲ含有スル壌土ニシテ下層ハ粘土アリテ農場トナスヲ得へシト雖トモ惜シムラクハ壌土ノ中間ニ一二寸許ノ凝灰岩ノ薄層アルヲ大小野津幌ノ両川モ又タ泥炭地中ヲ通過シ其上流鉄道以東ニ至テ表層八寸許ノ沖積土アリテ中間ニ薄層ノ火山灰ヲ含ミ下層ハ白色ノ粘土ナレハ少シク排水ヲ行フトキハ地積狭少卜雖トモ耕圃トナニ足ラン(以下省略)
  植物
湿地ハ楡(アカタモ)、梻(ヤチタモ)、赤楊(ハンノキ)ノ類多ク下草ハ各所異ナリト雖トモ、ヨブスソウ、劉寄奴草(ナナツバ)、艾(ヨモギ)、ヤマソテツ等ニシテテ河畔ハ楊柳(ヤナギ)アリ湿地ハ矮小ノ赤楊(ハンノキ)ヲ生シ漸ク泥炭地ニ至レハ樹木ナク一望咸(ミ)ナ蘆(ヨシ)、茅(ヤ)芒(ススキ)ノ類ニシテ稀ニ赤楊(ハンノキ)又ハ樺木(カバ)ノ二三株点々散生スルヲ見ルナリ
  水害
平時ト雖トモ少シク雨水ノ多キニ逢ヘハ往々河水ノ溢ルルアリ殊ニ毎春融雪ノ候ニ至レハ石狩河水増加シ其河畔ニシテ少シク卑低ノ地ハ浸水ヲ蒙ラサルナク豊平河口モ為メニ閉塞セラレテ排洩スヘキ所ナク終ニ左右ニ侵流シテ泥炭地ニ注入ス豊平川ニシテ既ニ斯クノ如シ之カ支流タル月塞、厚別(アツシベツ)、野津幌等ノ諸川亦皆其河口ノ閉塞セラレ共ニ泥炭地内ニ氾濫ス故ヲ以テ豊平川ニ跨ル湿地ハ排水スルノ場所ナク常ニ「モイレ」沼中ニ停滞シテ漸ク四方ニ浸潤スルノ外ナシ是レ其近傍ノ湿地多キ所以ナリ   (以下省略)

 「北海道植民地撰定報文」は、明治24年3月7日に出版された報告文です。
 調査は、その1,2年前と考えられます。
 地域は、「厚別川」の流域について記しています。
〇湿地は、楡(アカタモ)、梻(ヤチタモ)、赤楊(ハンノキ)の類が多いとしています。
あとは、下草としては、ヨブスソウ、劉寄奴草(ナナツバ)、艾(ヨモギ)、ヤマソテツ等が繁茂していると記してあります。
〇河畔(川辺・川岸)には、楊柳(ヤナギ)が生えていて、川岸に近い湿地に矮小な赤楊(ハンノキ)が生えているが、泥炭地なので樹木は殆どない状態となっていて、残りは、すべて、蘆(ヨシ)、茅(カヤ)、芒(ススキ)の類であるとしています。
 稀に赤楊(ハンノキ)又は樺木(カバノキ)の2,3株が点在するような状況であるとしています。
 厚別川の流域は、洪水などの影響を受けながら樹木が育っていたと考えられますから、記載された樹木や下草の様子が読み取れます。

4.「厚別官林」に所在した「えんじゅ平」
 器械場の郷土の研究をされておられる吉田裕二様より、「槐(えんじゅ)平」の情報を頂きました。(下図の提供を吉田裕二様より受けました。)
 「厚別官林」内には、槐(エンジュ)の木が繁茂した地域がありました。
 古老の話(18)安藤 昇氏による「槐(えんじゅ)平」と銘々された地域

森林位置図
(北海道森林管理局)
2019年
  4月19日

厚別川本流沿いの歴史資源
「安藤さんから伺ったお話」より

図の黄緑色の箇所が「えんじゅ平」です。
丁度「滝野橋」の南方がその地域となりますが、北広島市の地域にまで及んでいたらしいとのことです。

 

 清水沢川及び野牛沢川は、アシリベツの滝の南方、4キロメートルほどの所からの流れを水源としています。そこには、「野牛山(やぎゅうざん)標高539.2メートル」と呼称された山があります。山の形が、遠くから見ると牛が寝ているように見えるので名付けられたようです。
 「野牛山」の西側には、槐(えんじゅ) の木が繁茂していたことから、明治に入って杣夫などの人々に「槐平(えんじゅだいら)」と呼ばれた所です。

5.「豊平町史」(昭和34年3月発行)より
 「第九章 各地の開拓(14)厚別地方」の回顧談<P885>には、樹木について長岡重治(注:長岡重太郎の誤り)が語る箇所があります。木の種類は以下の通りです。

 樹木は重にヤチダモ、ナラ、エンジ、イタヤ等で長い木材を運搬する時は多くの人手を要し、札幌まで運ぶには数日もかかりました。

 樹木については、厚別官林の事なのか、近隣の木の事なのか、判りませんが、「重に(主に)ヤチダモ、ナラ、エンジ(エンジュのこと)、イタヤ等」と話しておられます。

 「(15)里塚」の回顧談には、「おんこ」の木の事が語られています。

 大正の終頃まで道の両側に大きなみごとな「おんこ」の木がたくさん立ち並んでいた事を皆が知っている。今学校の裏手に、形のよい大木の「おんこ」が一本見えているが、その頃の名残であろう。

 おんこ(イチイノキ)の大木と言えば、東月寒の八紘学園の敷地内に「菜洗神社(私邸神社」がありますが、その境内に「おんこ」の巨木を見ることが出来ます。
 一抱えか二抱え位の幹の太さですから見事なものです。清田区で巨木を見る事は難しくなりました。三里塚小学校の「おんこ」の木は、校木になっています。

 「(17)滝野」の回顧談には、以下のような木の事が語られています。

 開拓当時はトド松、エゾ松、なら、たも、かつら、かば、せん等の大木があって造材も相当続いたようである。

 以上は、昭和30年になってからの回顧談なので、どこまで信頼できるかは分かりませんが、参考となる樹木の植生という事が出来ます。

6.「トンネ川」について
 清田区には、札幌国際大学の傍に「トンネ川」が流れています。
 「札幌のアイヌ地名を尋ねて」(昭和40年発行)<P142>(山田秀三著)に「トンネ川」の事を具体的にお話しされた記録が記載されてありますので転載します。

 清田を自動車で通った機会に、開拓時代からの旧家の三(見)上権治郎さんを訪れてこの川のことを聞いたら、それは、われわれの「トンネ川」と云っている川でしょう。コカコーラの工場のそばに、国道にカクサボシ橋という小さな橋があります。その下を流れている川のことです、とのことであった。旧図と対照すると合っている。
 三(見)上さんは、あの川の流れている処は私の土地なのですが、トンネ川って何のことでしょうか、と聞かれる。ドンニ・ウシ・ナイ(楢の木・群生する・川)と読めるのですがと話したら、同氏笑い出して、『そんな事でしたか。あすこは昔から楢の群生している山で、二度伐採したのですが、今でも三代目の楢が一ばい生えているのです。』と云われる。どうやらこの解が当っていたようだ。

 「トンネ川」流域は、楢(ナラ)の木が繁茂していた地域と思われます。2度伐採しても3代目が生える程、楢の木にとって環境が良い地質だったのかも知れせん。
 厚別官林においても、楢の木が繁茂していたとの記載があるので、地域的に見ても、地質や気候が合っているという事なのだと思われます。

7.「とよひら物語~古老をたずねて~」
 「とよひら物語~古老をたずねて~」は、平成4年3月発行の著書です。
 清田区の植生に関係する内容がありましたので、部分ですが転載します。

 その1 水上繁雄氏(大正4年2月3日生)の回顧談から <P16>より

 おれの子供のころには、桂の木のデカイ奴があってさ。桂って、中ガッポ(空洞のこと)なんだよ。おやじの兄弟は、桶屋も大工もいるもんだから、それを切ってもらって五右衛門風呂にして入った経験があるんだ。
 今の厚別川の周りは、森林でうっそうたるもんでした。今生えている木は、すっかり新しい木なんですよね。

 平岡地域にお住まいされた、水上繁雄氏のお話です。大きな桂(カツラ)の木が在ったとういう事は、桂の木が繁茂していた事が窺えます。

 その2 水野光國氏(明治40年11月10日生)の回顧談から <P18>より

 真栄は、もう、大きなアカダモの木が多かったですな。だからみんなは、まきにして売るって言っていた。売るったって、馬車やそりがなけりやならんし、道路が悪い。こんな辺地では、歩く道しかない。だから、開拓するのに、みんな燃やしてしもたんでないかい。

 真栄地域にお住まいされた、水野光國氏のお話です。大きなアカダモの木が多かったと述懐されています。開墾の為に、アカダモの木をまきにしていたとのお話しから、アカダモが繁茂していた事が窺えます。

 その3 三高長松氏(明治32年11月16日生)の回顧談から <P113>より

 (略)この辺りは、夏は大水、冬は吹雪でたいへんなところだった。厚別川は、昔は曲がっていて狭いから、大水が出たら簡単に堤防が切れた。川が改修されるまでずっと続いたなあ。吹雪もすごい。二日ぐらいふぶいて、十日ぐらい道路が通れないなんてこともあった。北野は、カシワの山ばかり。カシワの木が多いところは土地がやせているんだ。だから、笹も育たない。川岸には、ヤチダモが多く、これが固くて銃のさやに使われていたようだ。

 北野地域にお住まいされた、三高長松氏のお話では、北野地域には柏の木が多く繁茂していたという事です。また、川岸には「ヤチダモ」の木が多かったと語られています。
 「北海道植民地撰定報文」に記された内容が、再確認できた思いです。

 尚、柏(カシワ)の木については、東月寒地域(二里塚)や大谷地地域(開墾当初から「柏山」と呼ばれ、その後「吉田山」と銘々された周辺・現在の南郷通16,17丁目一帯)にも繁茂していたとの記録があります。

8.まとめとして
 清田区の植生は、川の周辺・湿地の地帯と平地や山地の地帯により分布が異なっていると言えそうです。川は、厚別川・その支流の山部川・三里川・二里川・トンネ川・清田川・吉田川となります。その他は、平地・山地(台地)の植生となります。
<川に近い周辺>
 ・川の湿地には、楡(アカタモ)・梻(ヤチタモ)・赤楊(ハンノキ・カバノキ)の類
 ・川辺には、楊柳(ヤナギ)や川岸に近い湿地に矮小な赤楊(ハンノキ)の類
<平地や台地の周辺>
 ・厚別官林地域は、椴松(トドマツ)、蝦夷松(エゾマツ、)楢(ナラ)、刺楸(ハリキリ・別名センノキ)、桂(カツラ)・,岩楓(カエデ)・黄桐(キリ)・槐(エンジュ)・イタヤ・樺(カバ)等
 ・三里塚地域では、オンコ(イチイ)、北野地域では、柏(カシワ)等
<下草として>
 ・下草は、蘆茅(ヨシ・カヤ)・芒(ススキ)・クマザサ・根曲竹・苳(フキ)・シダの類その他に、セリ・ヨモギ・タデ・ハギ・ツメクサ・スギナ・オオバコ 等

 以上のような分類と植生となりました。
 現在では、1本の大木ですら町区で見かけることが少なくなった状況です。
 大木が林立し、鬱蒼と生い繁っていた頃の植生について、想像するのは難しい事ですが、概略を捉えて頂けたならば幸いです。

記:きよた あゆみ(草之)


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