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明治37年 有明(公有地)小学校の創立

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明治37年 有明(公有地)小学校の創立

はじめに
 明治23年9月に施行された「屯田兵土地給与規則」により、屯田兵村には、給与地や公有地が給与され、優遇措置がとられました。
 有明は、篠路屯田兵村の公有地となり、そのことによって地域の名称が「公有地」となりました。
 公有地の名称は、この事実からすると、明治23年以後ということになります。それ以前の開墾は、篠路屯田によるものではなく、月寒地域・厚別地域・その他の住民による伐木や炭焼きによるものであった事となります。

1. 篠路屯田給与地の大きさ
 札幌郡篠路村の篠路屯田兵村は、移住戸数が220戸ありました。また、給与地積が3,355,268坪、公有財産地積が3,285,285坪、官用地が400坪、合計6,640,953坪を所有していました。
 その内、開拓使が月寒村の有明地域に当てた公有地の面積は、808,875坪でした。
 「明治三十五年篠路兵村給與(与)配當(当)調」(「篠路 公有財産地 給與地 臺(台)帳」(北海道大学北方資料室所蔵)には、篠路兵村の公有地についての記述があります。
 上記の台帳の項目「屯田歩兵第一大隊第四中隊兵屋貳百貳拾戸公有財産給與地々積調」<P62>には、次のような地積があったことを記しています。

 合計地積は、80万8875坪2合5勺 となります。
 「アシヽベツ」であるので、「仝(どう)村」が札幌郡山鼻村ではなく、月寒村の間違いであることがはっきりとしています。単純に「仝(どう)村」と誤記したものと思われます。
 注の「一号地積」は、現在の有明地域で、真栄高校の付近から有明の滝付近までの細長い敷地でした。「二号地積」は、現在の真栄地域で、札幌芙蓉カントリー倶楽部等の敷地となっています。

2.公有地小学校のこと
 「有明小学校 開校70周年新校舎落成記念誌」(昭和55年11月23日発行)には、学校の始まりを次のように記してあります。 「学校沿革誌」より

   有明小学校  開校ノ沿革
当地ハ昼尚ホ暗キ(鬱蒼(うっそう))タル森林ナリシガ、明治十八年頃ヨリ漸次人民入リ込ミ、開拓ニ従事セシモ、土着心ニ乏シク従テ出入多ク開墾ニハ長年月ヲ要シ、戸口ハ逐年増加セシモ一校ヲ建設スル程ノ児童数ナク、明治四十年頃ヨリ十数名ノ児童ハ仁別分教場或ハ三里塚教育所ニ通学シタ。然レドモ距離遠隔、通路困難加フルニ冬季中ハ通行途絶ノ状態ニテ非常ナル艱苦ヲナメタリ。越エテ明治四十四年頃ニハ拓殖ノ進歩ト共ニ戸口増加シ児童数モ三十ヲ算スルニ至リ、教育上ノ施設一日モ忽諸(こつしょ・なおざりにすることニ附スル可カラザル状態トナリシヨリ、江良寅吉、山田尋源、森正雄、白船孫二等ノ有志相謀リ同年三月厚別尋常小学校附属特別教授所トシテ設置認可ヲ得、部落民ノ拠金ト木材等ノ寄附ヲ以テ公有地中央ニ一校ヲ建設シ、同年四月十三日盛大ナル開校式ヲ挙行シ、時ノ支庁長山下三次氏代理トシテ一課長兼学事主任皆月安太郎氏臨席セラレ親シク告辞ヲ賜リシガ、大正五年四月教育所ト組織変更シ同年八月現今(げんこん・現在のことノ位置ニ移転増築ヲナシ、同年十二月二十四日聴令第八十五号ニ依リ、大正六年四月一日ヨリ公有地尋常小学校ト組織シ以テ現今ニ至レリ。   (注)  は注釈

 と、学校設置には、多くの課題があり困難をきわめた事が連綿と書き綴られています。

ようやく設置された学校の写真です。
「有明小学校 開校70周年   新校舎落成記念誌」より
(昭和55年11月23日発行)
「公有地小学校」の開校当初の校舎です。

(1)厚別尋常小学校附属特別教授場

○厚別尋常小学校附属特別教授場
〇公有地教育所
明治44年4月~大正5年8月まで
所在地:(現地番)有明95番地
校地面積:900.0坪
 (間口25間×奥行36間)
校舎面積:33.0坪
 他に、校舎住宅の側に、2坪の物置が設置されてありました。
 大正5年4月1日、独立して「公有地教育所」となりました。

<左図は、筆者の模写図>
 「厚別尋常小学校附属特別教授場」の位置については、有明95番地から特定が出来ます。
 現在の地番で、有明95番地の箇所は、「(株)北斗建設」となっています。
 道路沿いにあり、その東側も95番地となっていた記録がありますから、学校敷地(900坪)が分筆された可能性があります。
 有明神社の北側、南栄橋の近くであり、現在の学校より北側に位置して在りました。

(2)公有地教育所
○公有地教育所  ○公有地尋常小学校
○公有地国民学校
 大正5年8月~昭和23年10月まで
 所在地:(現地番)有明246番地
 校地面積:900.0坪
 校舎面積:42.0坪
 他に、校舎住宅の側に、4.5坪の物置・井戸が設置されてありました。

  大正5年の学校の移転は、小村亀十郎の私費によって移る事となりました。それというのも、小村亀十郎は、篠路兵村の開墾を推進した中心人物(立役者)でした。
 小村亀十郎が、開墾したのは「三滝之沢」で、明治41年より事業を進め、大正5年には入植した小作人が40数戸となりました。その子弟の教育の場を整えるために学校の移転を図った事になります

 左の写真は、小村亀十郎氏の肖像です。
 『小村亀十郎翁事績誌』より (札幌市公文書館 所蔵)

 学校の移転の箇所については、概略、有明の中央付近(現在のバス停・南有明付近)に増築移転しています。
 「公有地教育所」の場所は、国土地理院の1916年(大正5年測図)の地図に、「学校記号」がしっかりと記されています。
 この「公有地教育所」の位置の特定をしたいと思います。<「今昔マップ」で確認しました>
 左図は、1916年(大正5年測図)、大正8年2月28日発行の地図です。
 右図は、現在図です。マーカーの位置が、元学校が在った箇所となります。
 「南有明」バス停の南側にあり、2つの会社の建物を含む付近が校地であったと思われます。

    小村亀十郎の開墾地「三瀧沢」(「三滝之沢」)
 小村亀十郎の開墾地の三瀧澤(三滝之沢)は、公有地の中央より南側に位置して在りました。
 1916年(大正5年測図)の地図(左図)によって、現在の「ふれあいの森」周辺が小村亀十郎の開墾地であった事が推測されます。
 亀十郎の開墾した土地から当時の学校の在った場所へ行くにはかなりの距離がありましたから、その中間の辺りに学校を移転させたという事です。

・大正6年4月1日、北海道庁令第八十五号により「公有地尋常小学校」となりました。
・大正9年7月14日、開校十周年記念運動会を挙行しました。
・昭和16年4月1日、公有地尋常小学校を「公有地国民学校」と改称しました。
・昭和19年1月、豊平町議会において字名を改正し、「公有地」は「有明」と改称しました。
・昭和22年7月23日、地名変更により校名を「有明小学校」としました。

(3) 豊平町立有明小学校
○豊平町立有明小学校
昭和23年10月~昭和33年11月まで

所在地:(現地番)有明141~2番地
昭和23年10月 移転当時
 校地面積:1,195.5坪
 校舎面積:   81.5坪
 教室数 :   2教室

 昭和23年10月移転に際して、川瀬 鶴吉氏が校地の内、土地295坪を寄贈しました。
 校舎は、昭和24年10月、三滝之沢の旧校舎(2)を解体し、運動場28坪や教員住宅1戸(10坪)を増改築したものです。

 移転した翌年の昭和24年、三滝の沢付近に35戸の人々が入植し、開墾に入りました。
 ※ 「三滝の沢」は、小村亀十郎の開墾地「三滝之沢」(ふれあいの森付近)ではなく、もう少し厚別川上流のバス停「三滝の沢」(有明の滝の南側)付近であった思われます。
 戦後「開拓団」と呼ばれた人々で、樺太引揚者が有明の地域で開墾する事になったのです。
 (注:40世帯・235名 との記録があります。誤差があると思われます。)
 昭和25年10月、運動場を間仕切り20坪の教室及び6坪の工具室とする増改築を行いました。
 昭和29年10月、玄関・工具室・職員室・物置・石炭庫移動の増改築を行いました。
 昭和30年、「三滝の沢」開拓地が米軍演習地として買収され(現在は自衛隊演習場)、入植者が転出し、児童数が急減し、単級編成(1学級)となってしまいました。
 23年の移設した当時の校舎は81.5坪でしたが、昭和32年4月には、増改築を重ねてかなり広い校舎(175.8坪)となりました。

(4) 札幌市立有明小学校
○札幌市立有明小学校
昭和33.11月~昭和54年6月

所在地(現位置) 有明141一2番地
校地面積:  5,124.8㎡
      (1,553.0坪)
校舎面積:    580.8㎡
      (  175.8坪)
教室数 :   3教室

 

 

(5)昭和54年6月 <解体以前>の有明小学校の校地全体の様子  (7月より解体される)
 昭和36年5月、豊平町が札幌市に合併し、校名が「札幌市立有明小学校」と変更になりました。
 昭和46年4月4日、開校六十周年記念式典を挙行しました。
 昭和52年に、特認入学校として指定を受けました。
 尚、昭和52年(1977年)より、札幌市の小規模特認校は,盤渓小学校・駒岡小学校・有明小学校の3小学校となっています。
 昭和60年(1985年)、福移小学校と福移中学校(併置校)が加わり、4小学校と1中学校で実施されています
 昭和54年6月、旧校舎とのお別れ式を挙行しました。
 昭和54年12月、新校舎竣工の検定が行われ、28日に引き渡しを受けました。

 左の写真は、昭和55年6月に撮影された 新校舎です。
 校長住宅や教員住宅が無くなり、鉄筋コンクリート造りの新校舎となりました。
 子どもたちの学校生活は、それほど変化がなかったと思われますが、新たな一歩を踏み出す校舎となった事は事実です。

まとめとして
 清田区の有明小学校が戦後になっても、僻地校であり、単級や複式の授業が行われていた学校であったという事を、ほとんどの人が知らないのではないか思います。
 有明小学校は、昭和38年頃、児童数20名前後で、複式の1~3年生まで1学級、4~6年生まで1学級の2学級編成(複式)の学校でした。

 それ以前も、地域住民の戸数が少なく、学齢児童の人数も決して多いとは言えませんでした。
 しかし、現在は、だれもが羨む小規模特認校として、6学級編成で、児童数が100名前後の学校となっています。有明小学校に保護者が通わせたい、子どもたちも通いたいと思えるような様々なカリキュラムを組み、少人数ならではの教師とのふれ合い、地域の特性を生かした自然の中での活動(体力づくり・全校音楽・栽培活動など)を行う特色ある学校となっています。
 それというのも、長年にわたり地域の保護者が困苦を乗り越え、全面的に学校を支え続けようとする意識に依るものと思われます。地域には温かな連帯感があり、子どもたちの教育に対して熱意をもって当たってきた基盤が、結果として今ある姿となったと考えております。

記:きよた あゆみ

<本編>明治19年 「月寒小学校厚別分教場」創立までの経緯

<外伝>明治19年 「教育所」の在った田中松三郎の土地

<外伝>明治38年 三里塚小学校の教育の場所となった箇所

<外伝>明治37年 有明(公有地)小学校の創立

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