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昭和28年 「弾丸道路」と呼ばれた道路改修工事

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昭和28年 「弾丸道路」と呼ばれた道路改修工事

はじめに
  ◎ 昭和28年完成の「弾丸道路」

昭和30年頃の清田小学校前の旧国道36号線

 戦後の昭和27年(1952年)10月1日起工し、昭和28年(1953年)11月2日(開通式)完成の(俗称)「弾丸道路」(正式名称「札幌・千歳間道路」)は、1年足らずで完成しました。
 工事区間は、自 札幌市豊平定鉄踏切・至 千歳市警察署前 まで全長34,5kmでした。
 工事費は、8億6429万2000円 の経費となっています。
 朝鮮戦争が熾烈を極め、深刻さが増す情勢の中での工事であり、完成した時は、通称というか、俗称「弾丸道路」と呼称されました。理由は多々あり、米駐留軍の要請による軍事的道路と受け留められた事・弾丸のように速く走れる高速道路的な事・弾薬を運んでいたからと、まことしやかに風潮された事等で、そう呼ばれたのですが、当時の新聞各社がそのような批判的な見出しで書き立てたことによって一般化したと言えます。
 工事は、多くの機械力を用い、当時として最新のアスファルト舗装の道路となりました。

昭和29年

<工事を終えた道路>
 島松沢(島松)付近
恵庭方面から島松沢(島松)方面を望む。

 

 

 朝鮮戦争とは、北朝鮮と韓国の間で、昭和25年(1950年)6月に始った紛争で、米軍を主体とする国連軍が韓国側に立ち、中国が最終的に北朝鮮支援に動いた戦争です。戦況は目まぐるしく変化した末、昭和28年(1953年)7月、決定打のないまま北緯38度線を境に休戦協定に至りました。 現在も終戦ではなく「休戦状態」のままとなっています。

1. 清田区の厚別神社付近の道路改修工事の様子

(1)の地図は、大正6年測量 昭和10年修正「国土地理院 昭和29年4月30日印刷」より
  <厚別と室蘭街道> ※道路がかなり屈曲してなめらかさのない角張った状態です。
  工事を行う以前の道路は、火山灰に砂利を敷いた坂道で、上るのに苦労しました。
(2)の地図は、昭和30年測量 「国土地理院 昭和42年2月13日 発行」より
  <厚別と室蘭街道> ※道路が滑らかな曲線となっています。土地買収を行い、車の走行に適したカーブであるよう設計された道路となっています。

国土交通省北海道開発局 札幌開発建設部 「札幌開発部 公物管理業務課」所蔵
「一級國道三十六號線 月寒広島間 区域変更平面図」(縮尺 壱千分之一)より

 工事以前は、厚別神社の階段に接するように道路が造られていました。それは、この付近一帯が崖地となっていたからです。
 斜面は南側(図の下側)ヘ落ちるような土地状況でした。
 道路を婉曲にするため、北側の崖を削り南側に道路を拡幅しました。
 工事によって、緩やかなカーブ(黄緑の線)を描く道路となりました。
 青線(在来の道路)  赤線内(買収に依る土地)  黄緑(改修された道路の中央線)
  ※一部筆者の加筆があります。

2.清田区の三里塚付近の道路改修工事の様子

(1)の地図は、大正6年測量 昭和10年修正「国土地理院 昭和29年4月30日印刷」より
  <三里塚と室蘭街道> ※道路がかなり激しく屈曲しています。
(2)の地図は、昭和30年測量 「国土地理院 昭和43年11月30日 発行」より
  <三里塚と室蘭街道> ※道路がなめらかな曲線となっています。
  角張った箇所が緩やかなカーブとなり、曲がりが多い道は、直線化されています。

国土交通省北海道開発局 札幌開発建設部 「札幌開発部 公物管理業務課」所蔵
「一級國道三十六號線 月寒広島間 区域変更平面図」(縮尺 壱千分之一)より

 <現在の旧国道36号線 桂台団地(元 三里塚)バス停付近>
 青線(在来の道路)  赤線内(買収に依る土地)  黄緑(改修された道路の中央)
 ※一部筆者の加筆があります。

 初期の三里川の橋の道路箇所は、90度に近い曲がりでした。見通しよりも川を渡りやすい箇所に橋を設定していたと思われます。それを、土地買収によって車が走りやすい曲線であるよう道路が造り直されています。
 最近の高速道路では、カーブの箇所をクロソイド曲線にして、ハンドル操作がし易くなるよう設計されていますが、「札幌・千歳間道路」においても、運転者にとって無理なくカーブが切れるようになっていたという事です。
 道路を早く仕上げただけでなく、配慮の行き届いた道路造りだったことが窺えます。

3.まとめとして
 朝鮮戦争の最中で、道路の建設費は、「日米行政協定に基づく安全保障諸費」という特別財源が当てられた事での「軍事色の強い」道路であった事は押さえて置く必要があります。
 しかしながら、この工事を請け負ったのは、大林組㈱、鉄道工業㈱、清水建設㈱、三井建設㈱、中山組㈱、菅原建設㈱、北拓建設㈱、地崎組㈱、岩田建設㈱、垣原建設㈱、広野組㈱、日本鋪道㈱、日本道路㈱、大成建設㈱、伊藤組㈱といった日本有数の土木関係企業が名前を連ねています。
 これらの企業が一致協力し、材料や方法を考え、厳冬期の北海道の道路づくりとなった事、車社会の先駆けを行くような道路の整備を行った事等々は、道路史に残る偉業であったと言えましょう。
 「弾丸道路」は、単に砂利道やコンクリート道からアスファルトによる舗装にしたばかりでなく、道路づくりの基本的な事に配慮しての竣工であった事を書き留めて置きたいと思います。

昭和36年頃 現在の農協清田支店前 (写真は、清田区 酒井氏 提供)

記:きよた あゆみ(草之)


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