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滝野すずらん丘陵公園の開墾と神社

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滝野すずらん丘陵公園の開墾と神社

 現在の「滝野すずらん丘陵公園」は、多くの施設が整い家族連れで賑わう行楽地となっていますが、明治以前は人手の入らない大木の繁茂した原生林でした。
 明治8年頃、開拓使により「厚別(あししべつ)官林」と指定され「札幌郡山林ノ最タリ」と賞讃される程で、椴松・蝦夷松・楢・刺楸(ハリギリ)・桂や野牛山(539m)の西側の台地(滝野橋の南側一帯)には槐の木が生い茂り「えんじゅ平」と称された豊かな樹林地帯でした。

 明治12年2月、厚別器械所が設置され、大木を切り出す杣夫、その原木を馬や橇で引く人夫、製材(屋根柾・ヌキ・タルキ等)を造り出す工夫、加工した製品の運搬人等で非常な賑わいを呈しました。
 原木の切り出しは、特に冬の期間に行われましたから、雪が積もり始める頃になると、出稼ぎ人が器械場周辺に集まり、樹木の伐採に一斉に関わり盛況を極めました。

阿部 仁太郎 氏

 しかし、明治19年5月、器械所が廃止されると共に、地域は衰退の一途をたどり明治20年代には、一時無人の状態となってしまいました。

 阿部仁太郎は、薪炭業で財を成したのち、農地の事業・郵便その他に尽力した人物です。

 その後、明治30年「北海道国有林未開地処分法」が公布されて、無償で貸下げが行われました。(懇成年限が10ヶ年で、開墾した土地は無償で付与されるという規則でした。)
 阿部仁太郎は、明治32年に器械場の土地の貸下げを出願し、明治33年から明治34年に掛けて70万坪(「豊平町史」では、32万余坪)の貸下げを受け、小作人を入地させ開墾地を広げて行きました。

 明治34年11月7日 「北海タイムス」の記事には、「阿部仁太郎」による機械場付近の開墾について次の様に記してあります。

○ 小作奨励の模範
札幌郡豊平村阿部仁太郎氏は仝郡月寒村字機械場に於て未開地七十万余坪の貸付を受け開墾済の者には一戸に付一万五千坪を分与する事とし本年四十余戸の小作人を入れ開墾に着手せしが既に三十七八町歩の成墾となり仝所は開拓使の当時工業場を設けたる処にて厚別の瀧を構ひ風景頗る絶佳殊に方六十四間の池を堀り風致を添へ山神社を新設し去る二日より三日間祭典を執行し成蹟(ママ)優等の小作人には賞与として木杯一個宛を寄贈し其他福引及び競馬会の催しありて夫々景品賞品等を与へ頗る盛会にてありしと云ふ因みに仝所は遠隔不便の地にて学齢児童に通学困難なるより昨年早々私立学校を創設し又寺院を設立して信徒の宣化を計る等目下頻りに其設計中なる由

 器械場周辺の未開地70万余坪の貸付を受けて、明治33年(2戸が入地しました)と明治34年に40余戸、明治35年に(数10戸)小作人を入地させ大規模な農場経営に着手しました。
 明治33年には私立學校の創設・寺院の設立、そして、明治34年に山神社を新設したと記してあります。明治33年の私立學校は、6月20日に設立した器械場教育所でした。明治35年には器械場尋常小学校(後の滝野小学校)と呼称しています。しかし、昭和46年3月に閉校し、常盤(土場)小学校と統合となりました。滝野小学校は、その後、昭和47年に「滝野自然学園」として開設されています。
 また、寺院は、福住寺の出張所で、明治43年には再建に着手し、明治45年28坪の教場が完成しています。(器械場出張所の認可は、大正元年11月10日です。但し、昭和11年頃には、寺の維持が出来なくなり撤去を余儀なくされました。)
 明治34年の山神社については、器械場神社の始まりではないかと思われます。
 「豊平町史」には、「最初、現在の神社の位置に不動明王をまつった。」としていますが、年代が記されていません。阿部仁太郎により明治34年「山神社(不動明王)」を祀ったことが始まりと推定します。

 「滝野小学校閉校記念誌」より、『加藤農場略図』「大正元年十二月十九日 札幌郡豊平町大字月寒村字瀧ノ下千四百拾番地  所有者 加藤今記 拾四町八反四畝拾九歩」

 器械所のあった当時の木工場のほか、瀧・神社・不動・此家郵便函アリ、雑貨店(柴原商店)・寺・学校・小作小屋、及び厚別川・清水沢川・野牛沢川が、図面に記載されてあります。
 注:「不動」は、神社・滝の西側にあり、初期の不動尊を此処に安置したものと思われます。

 明治43年当時、器械場の戸数は、60戸以上の入植の民家があり、炭焼き・冬山造材・根曲り竹の伐採などで生計を立てていました。寒さのため稲や蔬菜の育ちが充分でなかったからです。その後、努力を重ねて収穫が上がるようになったといいます。
 器械場(滝野)神社については、下図の右側が旧 器械場神社で、滝のすぐ近くに設置されていました。下図の左上の神社は、移設した新神社で、「滝野神社」です。
 「豊平町史」(昭和34年3月発行)には、神社・沿革について、次のように記してあります。
器械場神社
所在地 豊平町滝野

上の写真は、移転遷座した「滝野神社」です。

一、祭神 天照大神・大山祇命・倉稲魂神
二、創建 明治四十二年(1909年)七月二十八日
三、沿革 最初現在の神社の位置に不動明王をまつった。後(約10年後)不動尊を滝 の東南山上に移転して、新たにほこらを造営してまつる。現在の神社の位置はもと豊平神社の遙拝所であった関係上、豊平神社の祭神を移した。社殿は三度改築し、昭和七年に改築したものが現在の社殿である。すべて部落民の寄附による。
四、祭日 初め七月二十一日、後九月十八日とする。
五、氏子総代  阿良 甚作
六、豊平神社宮司 三橋 三夫(現在は未詳
以上は、「豊平町史」を参照したものです。

 「器械場神社」が「滝野神社」に名前を変更したのは、1944年(昭和19年)です。
 昭和57年(1982年)に、国定公園(滝野すずらん丘陵公園)開設に伴い現在地に移転(遷座)し、別改築したものが現社殿となりました。
 境内には、開拓紀念碑、馬頭観音碑、不動明王碑、所以の碑が所在しています。

境内にある「開拓紀念碑」大正2年(1913年)7月建立
<表 面>
「開拓紀念碑 開拓創始者 阿部仁太郎翁」
発起人総代 大内著治 渡辺末吉 松本次喜
<左 面>
大正二年七月 建立
<裏 面>
開拓功勞者 阿部由太郎 山岸儀太郎 髙井長次郎 國方清平 松本次喜 岡部助松
寄附者人名 18名 23名 8名 計49名  表面 側面 裏面(3面)までつづく記載

右側が、「不動明王」(右手に剣を持った石造)
發起人 岡部幸 阿良林藏
世話人 嶋田喜一 里見小太郎 池土善太郎
昭和九年七月廿六日建立
左側が、「馬頭観音菩薩」(頭に「馬の首」を掲げてある石造)
寄附者の氏名が四面に刻まれてある。 11名 7名 14名 9名の 計41名が記載

所 以
明治四十三年七月二十八日アシリベツ滝東北五十米に位置す村民五十有余戸器械場神社として三大神を祀る国営公園開設に伴い髙橋幸雄氏並に岡部幸一氏の厚意に依り現在地に移転する
昭和五十七年十月十日
委員 堀井 寅三郎 伊藤 正 軽部 千代作岡部 外吉  阿良 次信
※「明治四十三年」は、「明治四十二年」の誤記と思われます。

 滝野すずらん丘陵公園を含めた滝野一帯は、開墾の困苦と喜びの歳月を刻みながら、現在のような地域となったのです。

記:きよた あゆみ

<本編>明治13年「水車器械所」の設置と「厚別官林」

<外伝>滝野すずらん丘陵公園の開墾と神社

 

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