札幌国際大学(札幌市清田区清田4条1丁目)の学生が5月11日(木)と18日(木)、2回にわたり、あしりべつ郷土館の運営スタッフから、清田区の歴史を学びました。

吉田用水跡の現地で説明を受ける札幌国際大学の学生たち=北野3条3丁目

あしりべつ郷土館の展示物を見学する学生たち

 これは、同大学講師の平塚彰先生の授業の一環で、昨年に続き2回目の取り組みです。授業は、清田区の歴史や地域社会、文化などへの興味や関心を喚起するのが狙いで、前期授業15回のうち、2回をあしりべつ郷土館が全面協力し、受け持ちました。

清田の歴史を学ぶ

 5月11日(木)の授業では、受講する学生十数名が平塚先生とともにあしりべつ郷土館に来館し、郷土館スタッフから清田区の歴史を学んだほか、館内に展示している昔の農機具や生活道具などを見学しました。

吉田用水記念碑の前で

 5月18日(木)は、まずコカ・コーラ裏の道端に建つ「吉田用水記念碑」を見学し、それから厚別川(あしりべつ川)左岸道路を北野通まで歩いて、北野3条3丁目の住宅街に残る吉田用水跡(長さ500m)を実際に歩いて見学しました。

 吉田用水とは、明治25年(1892年)頃、吉田善太郎さんという人が中心になって造った水田用水路です。今のコカ・コーラ裏辺りの厚別川から取水し、北野、大谷地方面に水を供給しました。

 これにより、清田、北野、大谷地など厚別川流域に水田が広がり、やがて「清田」の地名になっていきました。

吉田用水跡を歩く学生たち

 吉田用水は長さが5㎞ありましたが、昭和40年代、周辺は宅地化が進み、水田は消滅。吉田用水も役目を終えて、ほとんどが埋め立てられてしまいました。

 しかし、北野3条3丁目には、長さ500mにわたって吉田用水跡が帯状の緑地帯として奇跡的に残っています。

 清田区は、歴史的な建物などがほとんど残っていない区ですが、そうした中にあって、この吉田用水跡は貴重な清田区の歴史遺産といえます。

 学生たちは、郷土館スタッフの了寛紀明氏(郷土史研究家)、田山修三氏(北海道文化財保護協会副理事長)、川島亨氏(「ひろまある清田」代表)から、用水跡の現地を歩きながら説明を受けました。