清田区民センターは6月21日(金)、あしりべつ郷土館の協力を得て「清田区まち歩き講座」を行いました。明治時代につくられた農業用水路「吉田用水」の跡や、吉田用水記念碑などを訪ね歩き、歴史散策を楽しみました。
清田区まち歩き講座は昨年、第1回を開催しました。昨年は、清田小学校前の開拓功労碑や厚別神社(あしりべつ神社)境内にある記念碑などを、あしりべつ郷土館スタッフのガイドで訪ね歩きました。
今年は、昨年に続く第2回の開催。吉田用水記念碑と吉田用水跡を歩いて探訪した後、北海道コカ・コーラボトリング工場(札幌市清田区清田1条1丁目)を見学するコース(行程3㎞)で行いました。17人の市民が参加しました。
参加者は、コカ・コーラ社に集合して初めに、あしりべつ郷土館制作の動画「米作りと吉田用水~吉田用水跡を訪ねて」(10分)を視聴して予備知識を頭に入れました。
そして早速、出発。厚別川(あしりべつ川)沿いを歩いて、コカ・コーラ裏手の厚別川左岸道路脇に建つ「吉田用水記念碑」前に到着しました。記念碑は大正8年(1919年)に建立されました。
ここで、あしりべつ郷土館運営企画委員で郷土史家の了寛紀明さんから、吉田用水と記念碑のお話を聞きました。
吉田用水は明治25年(1892年)頃、今のコカ・コーラ裏手の厚別川から取水し、北野、大谷地方面に農業用水を供給したこの地域最初の本格的な用水路で、全長約5㎞ありました。
地域の人たち40人~50人が手作業で掘り進んだといいます。これにより、北野や大谷地などに水田が広がり、清田地域が水田地帯として発展するきっかけとなりました。
「吉田用水」という名称は、用水路造成の中心人物の一人が吉田善太郎という人だったことから、そう呼ばれるようになりました。記念碑には、吉田善太郎さんや山崎銀之助さんら功労のあった人たちの名前が記されています。
しかし、昭和40年代になって宅地化が進んで水田が消滅し、昭和48年(1973年)、吉田用水は役目を終え、その後、大半は埋め立てられてしまいました。
ところが、北野3条3丁目の500m区間だけは、細長い帯状のはらっぱとして残り、今に至っています。現在、札幌市有地になっており、市河川下水道局が管理しています。
さて、吉田用水記念碑を見学した後、再び、厚別川左岸を北に歩きました。途中、「実橋(みのるばし)」において、了寛さんから説明がありました。
「この橋の名前は、山崎実さんという人の名から命名され実橋となりました。山崎実さんの祖父は、吉田用水記念碑に名前が刻まれた吉田銀之助の孫で、橋が出来た当時(昭和40年頃)、この付近で農業を営んでいました」
一行は、さらに厚別川左岸を北に歩き、北野通に出て、吉田用水跡の起点に到着しました。用水路跡に入りますと、今の時期は夏草が生い茂って、なかなか歩きづらかったです。
吉田用水跡で、再び、了寛紀明さんから吉田用水について詳しい説明がありました。一行はさらに用水路跡を歩き、ほぼ中間地点(起点から250m)の北野第一公園まで歩きましたが、この先は夏草で歩けず、歴史散歩はここまでとなりました。
吉田用水跡には案内板もなく、夏は夏草で覆われてしまいます。ここが、かつて吉田用水だったということは地元の人にもあまり知られていません。
一行は、北海道コカ・コーラボトリングまで歩いて戻り、最後に、工場見学をして解散しました。
参加者は、清田区のほか他区からもあり、「貴重な機会で、とても楽しまった」など感想を述べていました。皆さん、お疲れ様でした。