9月7日(土)に、「NTT労組清田区居住者の会」と「退職者の会清田ふれあいの会」共催の「私たちの清田を歩こう会」行われました。34人が参加し、郷土史家の了寛紀明さんの説明を聞きながら歴史散歩を楽しみました。
 この催しは、清田区の歴史に思いをはせるウォーキングを解説付きで行い、ふるさと再発見と清田の魅力を再認識する催しで、あしりべつ郷土館が協力した初めての取り組みです。

清田公園

 参加者は、清田区民センター2階に集合し、そこから出発。清田公園、実橋、吉田用水碑、厚別(あしりべつ)橋を歩き、清田小学校前へ。

吉田用水碑を見学

 途中、清田公園では、かつて蛇行して氾濫を繰り返した厚別川の直線化工事(昭和30年代~40年代)の歴史や、吉田用水記念碑の前では、清田地域を水田地帯に変えた「吉田用水」(明治25年頃完成)の説明を聞きました。

開拓功労碑を見学=清田小学校前

 清田小学校前では、大きな開拓功労碑を見物しました。今から150年前の明治6年(1873年)、この開拓功労碑がある今の清田小学校付近に岩手県人、長岡重治が最初に入植、開墾を始め、駅逓等を経営し、水田を創設し、自費で道路・橋を造り、神社を興し、学校を造るなど清田地域の基礎をつくりました。重治の子、孫らの子孫も地域の発展に務め、その功労を称える目的で、この開拓功労碑が昭和22年(1947年)建立されました。
 清田小学校前を通る道路(旧道=旧国道36号)は、もともとは明治6年(1873年)に完成した「札幌本道」と呼ばれる幹線道路でした。この道路沿いに、かつては休泊所(旅館)、清田郵便局、あしりべつ最初の診療所、長岡商店、清田消防署、公民館、清田出張所などが建ち並び、この辺りが清田の中心地だったと、了寛さんは説明しました。

あしりべつ神社を見学

 この後、厚別(あしりべつ)神社まで歩き、今の神社本殿(昭和45年=1970年造営)の右奥に、大正6年(1917年)に造営され、ひっそりと保存されてい旧厚別神社本殿を見学しました。
 神社境内にある「忠魂碑」、「清田会館の跡」碑や「清田地区開基百年記念碑」などの解説も、それぞれの碑の前で行われました。

清田緑地を散策

 この後、「真駒内御料線の陸橋」を渡り、清田緑地に向かいました。この一角の森の中に「厚別神社発祥の地」碑があります。また、近くには長岡家の小さな祠があり、赤い鳥居が森の木々の間に見えました。

 清田緑地の散策路をさらに登っていくと、木々が生い茂っていますが、比較的平らなところに出ました。了寛さんの説明では、大正6年(1917年)造営の旧厚別神社は、この清田緑地の森の中の比較的平らなところにあったそうです。今の厚別神社は昭和45年(1970年)に現在地に新たに造営されたものです。

 参加者は清田緑地の中を抜けて再び清田区民センター2階の「あしりべつ郷土館」を見学しました。館内見学では、古い道具類を興味深く見学されました。

 約2時間の歴史ウォーキングとふるさと再発見の楽しい催しでした。