あしりべつ郷土館とNPO法人あしりべつ川の会は9月21日(土)、札幌市清田区清田1条1丁目の厚別(あしりべつ)川左岸道路脇(北海道コカ・コーラボトリング裏手)に建っている「吉田用水記念碑」の刻字を改修し、文字がくっきりと見えるようにしました。
この記念碑は大正8年(1919年)に建立された石碑です。
吉田用水とは明治25年(1892年)頃に先人たちの努力で造成された農業用水路です。この記念碑が建っている付近の厚別川から取水し、北野、大谷地方面に農業用水を供給しました。
長さは5キロに及び、これにより北野、大谷地などに水田が広がり、水田地帯として発展するきっかけとなりました。記念碑はこれに感謝して大正時代になって建立されたものです。
「清田」という地名も、こうして水田が広がっていたことから名づけられました。
しかし、昭和40年代になり宅地化が進み、水田がなくなったことから吉田用水は役目を終えました。多くは宅地化と共に埋め立てられましたが、清田区北野3条3丁目には長さ500mに渡って吉田用水跡が帯状の緑地帯として残っています。
吉田用水記念碑は、この吉田用水跡とともに、清田の歴史を物語る歴史遺産といえます。
近年は、清田区内の小学校や社会人グループなどが、この記念碑や吉田用水跡を見学する機会が多くなっており、あしりべつ郷土館がガイドをしています。
しかし、記念碑の刻字が薄れて読みづらくなっているのが悩みでした。そこで、あしりべつ郷土館運営企画委員の了寛紀明さん(郷土史家)と、記念碑を管理しているNPO法人あしりべつ川の会の長岡俊宏さんが尽力し、石碑を掃除・改修することにしました。
作業は清田区美しが丘4条10丁目の才田石材工業が行いました。職人さんが、記念碑表面の刻字にこびりついた苔や土、ほこりを一字一字、ていねいにカッターやブラシで取り除き、きれいになったところで刻字に白ペンキを塗りこめました。
表面には、吉田用水造成の功労者である吉田善太郎、諸橋亀吉、山崎銀之助、山本喜兵衛の4人の名前が刻まれていて、白くくっきり鮮やかになりました。
また、側面には記念碑を建立した人や団体の氏名が刻まれていましたが、こちらはほとんど読めない状況でした。これも、刻字のごみ等を取り除き、黒ペンキを塗りこめ、くっきりと読めるようになりました。
清田区の歴史遺産の一つが鮮やかによみがえりました。