清田の地名「厚別(あしりべつ)」について
阿(あ)鹿(しし)別(べつ)(あ志ゝ遍゛つ)
現在の「清田・あしりべつ地域」「石狩國札幌郡従室蘭三十二里 札幌創成橋迠二里五町十五間」と記してあります。
参考:「北海道新道一覧雙六」より
は じ め に
現在、札幌市の「清田(きよた)区」となり、区民に「清田(きよた)」と呼び習わされているこの地域は、昭和19年以前は、「厚別」と書いて「あしりべつ」と呼んでいました。
ところで、「あしりべつ」という言葉は、どうして名付けられ、どんな意味なのでしょうか?
「あしりべつ」という言葉について、明らかにしていきたいと思います。
1.あしりべつ川のこと
「あしりべつ」は、この地域に流れる「厚別川(あしりべつがわ)」に関係があるのです。
江戸時代頃は、「あしりべつ川」のことを「アシュシヘツ」「ハシユシベツ」「アシュウシベツ」などと、アイヌの人々が呼んでいました。川の上流から下流の豊平川に合流する所まで全部です。
上流の「あしりべつの滝」もその名残です。下流域は、「アシュシヘツフト」「ハシユシベツフト」と呼んでいました。「フト」・「太」は、川口を意味するアイヌ語です。
2.札幌建府の頃のあしりべつ川と地域
ところが、明治になって、日本人(和人)が、この札幌を中心に北海道を開拓する事になりました。
本州から渡って来た人々は、あしりべつ川の川名や、川の近くの地域(白石区のあしりべつ川の近くの辺りも)を、「アシシへツ」「アシスヘツ」「ハシスベツ」と、アイヌの人々の発音をまねて話すようになりました。
漢字でこの地域を、「厚別」(阿(あ)鹿(しし)別(べつ)・眞(ま)志(し)別(べつ)・厚子(あつし)別(べつ)・芦別(あしべつ)・鷲別(わしべつ))等と書いたりもしました。
その後、「アシシへツ」「アシスヘツ」「ハシスベツ」と発音するのが難しかったので、「アシリベツ」と言う分かり易い呼び方に少しずつ変化して使われるようになりました。
「アシュシヘツ」⇒「アシヽヘツ」「アシスベツ」⇒ 「アシリベツ」 と変化しました。
<江戸末頃> <明治初期・中期頃> <明治後期頃>
3.厚別(あつべつ)駅が新設
そうしているうちに、物を運ぶための汽車が通るようになりました。近くの駅として「厚別」駅が(函館本線・明治27年8月1日に開業)出来ました。新設された「厚別」駅を、「あつべつ駅」と呼ぶようにしました。漢字を、そのままの読みとしたのです。
その事で、「厚別」と書いて、川や地域が「あしりべつ」と「あつべつ」の2つの発音で読み・書きされるようになりました。 <ちょっと区別がつきにくい状態となったのです。>
4.「厚別➩あしりべつ・あつべつ」の表現
「厚別」駅の近くの人(白石村の人々)は、川を「あつべつ川」と呼び、地域も「あつべつ地域」と話す事がだんだん増えてきたのです。駅の名や漢字からそう呼ぶようになるのは当然の事と思います。しかし、月寒村(清田区)の人々は、古くから馴染んでいた「厚別(あしりべつ)川」「厚別(あしりべつ)地域」という言葉をしっかりと受け継いで話したり、書いたりしました。
今も、清田小学校の横の橋を「あしりべつ橋」と呼んだり、神社のことを「あしりべつ神社」と呼んでいます。また、少し前までは、清田小学校や清田中学校(昭和47年4月から)を、「あしりべつ小学校」「あしりべつ中学校」と呼んでいたのです。その他にも、「あしりべつ」の名の付く病院やバス停等がたくさんあります。
5.あしりべつの語源
江戸時代に松浦武四郎さんがアイヌの人に「アシュシヘツ」の意味をたずね、教えられた内容を、「ウラエ(ヤナ)のある川」であると本に書いています。
「ウラエ」と言うのは、サケマスを採るためのしかけの事です。サケが「あしりべつ川」にたくさん上ってきたので、アイヌの人々がしかけ(ウラィ)を作ってサケを採った事でその名になったと聞き書きとめました。(※「ウラィ uray」はアイヌ語で、和名のヤナ(簗・梁)です。)
アイヌの人たちが、川の両側まで木(木の枝や樹木)の杭(くい)を隙間なく打ち込み柵の様にして、川岸にサケを追い込む<しかけ>を造った川の意味です。
「戦前まで、あしりべつ川の支流までたくさんのサケが上ってきました。」(さけ・ますの群来(くき))という古老のお話や文書が残されていますから納得できます。
その他の語源としては、(山田秀三説)「アシュ」「ハシュ」は木の枝のことを意味する事から、「柴木・群生する・川」、(永田方正説)「雑樹の川」、(昭和二十五年発行の駅名の起源)「灌木の中を流れる川」、(厚別川の河川の看板には)「低木の中を流れる川」等々 があります。
6.まとめとして
江戸末の頃、「あしりべつ」という言葉の発音は、「アシュシヘツ」「ハシユシベツ」でしたから、「アツベツ」や「アシリベツ」から意味を考えるのは、アイヌの人々の発音とかなり違いますから、どんなに詳しく調べても間違いになってしまいます。
「あしりべつ」の意味については、多くの方々が昭和になって様々な意見を出されています。ですから、どれが正しいのかはっきりしません。時間が経っていますから、正確な意味は分からなくなったと言えるでしょう。
<私見としては>
江戸末期の探検家・松浦武四郎さんが多くの著作の中で記してある、『名義(めいぎ)(意味は)昔(むか)し樹枝(じゅし)を以(もっ)てウラエを架(かけ)しが故(ゆえ)に号(なずく)る』が分かりやすく、的確であるような気がします。
「(サケを採るため)ウラエをしかけた川」の意で、同じ考えの郷土研究家もおります。
7.「厚別・あしりべつ」の発音について <参考として>
「札幌のアイヌ地名を尋ねて」(昭和40年7月発行 山田秀三著 楡書房)より
山田秀三氏は、著書の中(P145)で『林氏(林顕三氏「北海紀行」の著作者)が土地の人のいう音を聞いて書いたものと思われるハシスベツは、後年永田(永田方正)翁が採録した地名の、実際発音され、使われた形(僅かな転訛はあるにしても)であることが判った。』と、記しています。
※永田方正さんが、明治24年より後に、「厚別」の発音を直に地域の人から聞いて記録した結果について、「ハシスベツ」が最も近い発音であると述べています。
「厚別」地域の人々は、明治の中頃「アシリベツ」とは発音しないで、「ハシスベツ」と発音していたようです。貴重な記録となっています。
以上ですが、少しは「あしりべつ」についてお分かりになられたでしょうか。
興味のある方は、色々の本がありますからお調べになってください。
札幌郡アシヽヘツ水源大瀑布 (船越長善氏の絵図)より
左下側に、「札幌郡アシヽヘツ水源大瀑布 高十丈 横四丈 七年四月十四日真冩」と記してあります。明治7年4月14日に現地に赴き活写したものです。他に2葉の滝の絵図が博物館には所蔵されています。(北海道大学植物園・博物館 所蔵)
<参考>
明治6・7年頃の双六「北海道新道一覧雙六」より (函館市中央図書館 所蔵)
記:きよた あゆみ
<外伝>「厚別」アシリベツの表記について
<外伝>清田区「山部川」の語源について