あしりべつ郷土館(札幌市清田区清田1条2丁目、清田区民センター2階)に11月8日(月)、岩手県立博物館の2名の学芸員が、学術調査で来館しました。

了寛紀明さん(右)から長岡重治氏の話を聴く岩手県立博物館の学芸員2人=あしりべつ郷土館で

 2人は、岩手県立博物館専門学芸調査員の工藤健氏と専門学芸員の昆浩之氏。2人は、厚別(あしりべつ=今の清田区エリア)に明治6年(1873年)、最初に入植した岩手県人・長岡重治翁の足跡を、郷土史家の了寛紀明さん(清田区里塚在住、元清田小学校長)から熱心に聴きとり、館内を写真撮影しました。

清田開拓の祖、長岡重治氏

 長岡重治翁は岩手県長岡村出身。明治4年(1871年)、北海道開拓の大志を抱き、一家6人で来道し、月寒村に入植。その後、明治6年(1873年)頃、厚別(あしりべつ)に移住し(今の清田小学校付近)、開墾を始めました。

 当時、あたり一帯は大木が繁る森林だったといわれています。そんな中、長岡重治翁は明治10年(1877年)頃には、厚別(あしりべつ)で最初に稲作を試み、その後も駅逓や旅館、郵便業務を行い、道路の補修や橋の架橋、神社の創設(今の厚別神社)、墓地の設定(今の北野墓地)など、あしりべつ地域のために尽力しました。

 さらに、明治28年(1895年)には、開拓者の子供たちの教育のために、自宅を提供して学校を創設。これが明治32年(1899年)に月寒小学校厚別分校となり、今の清田小学校につながっています。長岡重治翁の功績はかなりのものだと言えそうです。大正8年(1919年)没。享年93歳の長寿を全うした人生でした。

清田小学校前に建つ開拓功労碑

 こうした功績を記した開拓功労碑が昭和22年(1947年)に清田小学校前の旧道沿いに建立され、今も地域を見守っています。

 了寛紀明さんは、こうした話をまとめた資料を岩手県立博物館の学芸員2人に渡して、説明しました。

 岩手県立博物館の工藤氏によると、明治時代に東北地方から北海道に渡って開拓者となった人は数多くいますが、岩手県出身者の足跡はこれまでまとまった資料が少なく、よく分からなかったそうです。

 そうした中、あしりべつ郷土館に長岡重治翁のまとまった資料があることが、郷土館のホームページを見て分かり、郷土館を訪れたといいます。あしりべつ郷土館保管の長岡重治翁の資料は、了寛さんが古い史料等をコツコツと調べ上げた成果です。

 また、了寛さんは「明治25年に吉田用水という灌漑用水路を開削した吉田善太郎も、明治初期の札幌や清田の様子を絵図に残した北海道開拓使の船越長善も岩手県出身の開拓功労者」と伝えました。

 工藤氏は、この2人にも関心を示し、「岩手と札幌、清田とが想像以上に深い関連があることを知ることが出来ました」と述べました。

 あしりべつ郷土館は、清田区内の町内会連合会でつくる運営委員会が運営しています。経費は区内の町内会世帯1世帯年間40円の負担で賄っています。実務は、区民でつくる運営委員会事務局がボランティアで担い、郷土史家の了寛紀明さんも運営委員会事務局のボランティアメンバーです。郷土館は水曜日と土曜日の週2回、10時~16時まで開館しています。

「ひろまある清田」より転載