清田区の歴史を伝える「あしりべつ郷土館」(札幌市清田区清田2条1丁目、清田区民センター2階)は4月14日(木)~4月27日(水)まで、清田区民センター1階の廊下で、「あしりべつ郷土館パネル展」第2弾(後半)を開催しています。

 郷土館パネル展は3月24日~4月6日まで、前半として「開拓の始まりの頃」「国道36号線 道の歴史」の2つのテーマで、写真や貴重な史料を展示しました。

 今回は、その第2弾(後半)で、「清田区の歴史遺産・吉田用水跡」と「農村時代の記憶」という2つのテーマで、興味深い写真や歴史資料、地図をパネル展示しています。

 「吉田用水跡」の展示は、昔の吉田用水の写真、現在の吉田用水跡の写真、吉田用水の位置図などを分かりやすいパネル8点で紹介しています。

吉田用水=「清田地区百年史」より

 吉田用水とは、明治25年(1892年)頃に造成された水田用水路で、今のコカ・コーラ裏手付近(清田1条1丁目)の厚別川(あしりべつ川)から取水し、北野、大谷地方面に水を供給しました。幅1.8m、深さ2m、全長は約5㎞に達した用水路で、スコップとクワの手掘りで造成したといいます。

 昭和45年(1970年)頃、周辺の宅地化により水田が消滅したのに伴い役目を終え、大半が埋め立てられましたが、北野3条3丁目の500m区間だけは帯状の緑地として用水跡が残っています。

 なお、清田区と豊平区の境界を吉田川が流れていますが、これは自然の川で、吉田用水ではありません。

パネル展を開催した「あしりべつ郷土館」ボランティアスタッフの皆さん

 清田区は歴史遺産の少ない区ですが、この吉田用水跡は一級の歴史遺産といえます。「吉田用水」という名称は、造成の中心人物の一人だった吉田善太郎氏に由来します。吉田用水記念碑が、コカ・コーラ裏手の厚別川左岸道路脇にあります。

 一方、「農村時代の記憶」は、昭和30年代~40年代、清田区がまだ農村時代だった頃の風景を映した写真を多数展示しています。水田や畑で農作業する風景や、当時の家や暮らしぶりがうかがえる貴重な写真を展示しています。

 清田区は昭和40年代から宅地化が始まり、その後、農村から住宅街へと大きくまちは変貌して今日に至っています。清田区の農村時代の最後の様子がうかがわれる貴重な写真展になっています。

「ひろまある清田」より転載