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明治25年頃 開削した「吉田用水」諸々のこと

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明治25年頃 開削した「吉田用水」諸々のこと

1.「吉田用水」の取水口付近について
  「吉田用水路」の跡 (昭和54年度版 ゼンリンの住宅地図)より

 左図は、厚別川の直線化がほぼ完成した昭和54年頃の「ゼンリンの住宅地図」の部分です。
 蛇行していた厚別川川筋がほとんど真っ直ぐに改修されている事が読み取れます。
 その「ゼンリンの住宅地図」に元厚別川の川筋を記してみました。
 コカ・コーラ工場の敷地付近に三日月があり、その辺りから取水したことが想定できます。(ピンク線が「吉田用水」)
 取水口が上流まで延びているのは、高低差の関係で、上流より取水する必要があったと思われます。
 東側の三日月湖は、現在「清田公園」となっています。

2.「吉田用水」の取水口のこと
 水門(取水口)の場所については、「郷土誌あしりべつ」<P131>に「取水口は三回変わっているはずです。」とあります。
 「30ミリほどの雨でいつも川があふれ、その度にみんなで土のうを築いていたが、水田はいつも流されてしまった。」とも語っています。
 人間の力には限界があり、自然には勝てません。取水口も、水田に水を引くために最適の場所を選んで決め、水位を高めるため札幌軟石を積んで、「吉田用水」の掘割に多量の水を流し入れるよう工夫したのでしょうが大変な苦労であったことが分かります。
 しかも増水時には積み上げた軟石が、幾度も流される憂き目にあったと言います。当時の人々は、それでも意気消沈することなく前向きに改修作業を行った事には、頭が下がります。
 太平洋戦争(第2次世界大戦)の後には、ブロック小屋を建てモーターを置き揚水したのです。
 札幌軟石の代わりに大きな風船のようなものに空気を入れ、厚別川の水をせき止めるようにしたとのお話があります。また、水利組合ができ用水の管理を行ったとの記録がありますが、ブロック小屋での作業の様子や風船の詳細な造りや設定方法は解かりません。
 厚別川の直線化工事が始められたのは昭和35年頃で、昭和43年頃には一応の改修工事を終え、直線化の完成は、昭和51年頃です。その間に昭和48年10月用水組合が解散しています。
 厚別川には古びた取水口を見かけますが、10年程しか使われなかったという事になります。

3.「吉田用水碑」の位置
(1)吉田用水記念碑 の元の位置
   下の四葉の写真は、「吉田用水碑」を撮影したものです。
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吉田用水記念碑
平成15年頃(2003年)

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平成12、13年頃   (2000・2001年)

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「清田地区百年史」より
(昭和51年9月発行)
碑の後ろ側にブロック小屋が見えます。(揚水のモーター設置)

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   ※ 撮影された写真から元の位置を(背景の柵を基にして)推測できます。

(2)吉田用水記念碑の移設と改修

 平成18年(2006年)7月1日 撮影
現在の「吉田用水記念碑」です。
 この位置に碑を補修して移設したのは、平成16年ないし 17年と思われます。

 清田幼稚園の学園長先生であった故長岡武夫さんが中心となって、碑が斜めに切断され放置された状態の碑を補修・改修し、現在の場所に移設したようにうかがっています。

 

4.「吉田用水」の経路のこと
   < 吉田用水の経路の概要 >

1. 厚別川 河川敷 碑の位置付近から 厚別川左岸通を北側へ
2. サンコー情報処理センター
3. 北野通りを横断
4. アーバンスクエアの建物の東側の緑地(側溝の跡あり)
5. 元北野斎場の東側の緑地(側溝の跡あり)
6. 北野第一公園の緑地(側溝の跡あり)
7. 北野3条3丁目2の緑地(側溝の跡あり)
8. 北野連絡所の東側(清田通り)
9. グレイス北野の西側・ジュンスポーツクラブの西側・アテイス歯科の西側
10.北野6条郵便局の西側(清田通り)
11.北野しらかば幼稚園の東側(清田通り)
12.エクセランノールの東側(清田通り)
13.サッポロ珈琲館の東側(細い道路)
14.北日本石油 北野SSの西側(細い道路)
15.北野通りの西側
16.北野通りと東北通り交点・北野通りの西側
17.コープサッポロの敷地内・北野通りの西側
18.ツルハの西側
19.北野通りと南郷通りの交点・北野通りの西側
20.大谷地小学校の敷地内・北野通りの西側
21.国道12号線・ダイハツの付近
22.佐川急便の西側
23.大谷地緑地
24.大谷地緑地と道央自動車の交点・緑地の東側
25.流通センター内・Fの東側・道路の西側
26.函館本線「平和駅」流通センター3・札幌貨物ターミナル・南側2番目
27.流通センター3・札幌貨物ターミナル・南側2番目東側へ向かい厚別川に落水

※ 開削当初は、距離や古図面・鉄道線路越えの作業を考慮すると、厚別川に落成するよう設計施工されたと推察されます。

5.「吉田用水」の手入れ(掃除)作業のこと
   <用水路の手直し>
 用水路は、ただ地面を掘っただけのものです。多くの水量の通過によって土砂等の堆積があり狭められます。そのため、流れが滞るとその都度側溝掘りをする必要がありました。この作業も多くの協力者と分担によって行われました。
 三分一慶明氏(元大谷地小学校PTA会長)の思い出話として、「確か、5月1日が大谷地用水、5月15日が第2用水の水上げ(掃除)をした。初めに水門の所から行い、12号線までで終わったように記憶している。様々な雑草や泥を取り除く作業を農家が一斉に行った。作業が終わると、また水門の所に全員が戻り、その日に年1回の用水組合の総会を行った。
 月寒アンパンが1個ずつ配布されたり、酒が配られたりした。
 普段はちょろちょろとしか流れていながったが、頃合を見て水門の水位を上げると、一気に水が流れ、田の代掻(しろか)きが始まった。」と話されました。(筆者の聞き書きによる)

昭和51年9月発行
「清田地区百年史」
<P339>から
「水田開発と用水堀り」
「用水路の手入れ作業」より

しかし、稲作作りが終えた昭和48年10月には、用水組合は解散しています。

 

※「用水路は、その後「開発庁」の方に買い取ってもらった。」と記してあります。
 「北海道開発庁」は、平成13年(2001年)から運輸省,建設省,国土庁と統合されて「国土交通省」となり、地方支分部局として「北海道 開発局」となっています。

 昭和55年3月発行
「とよひら物語 碑をたずねて」<P95>から
「稲作農家の開花 吉田用水今昔吉田用水記念碑」

「北野地区に今もわずかに形をとどめる吉田用水路」より
昭和50年代当時の用水路の跡が残っています。

6.再び「吉田用水」の経路のこと

 明治30年以後には、函館本線を超えて用水路が延長されました。当時の北村牧場の付近で、その周辺も稲作地帯となりました。

 しかし、「吉田用水」によって、地域が稲作地帯となり、一面の稲穂で埋め尽くされましたが、そこに付け加えなければならない問題が発生しました。それは、「水争い」です。
 「昭和15年以後くらいから、こまった問題が起きます、水田が増え、水の量がたりなくなったのです。下流の大谷地から『水よこせ』の声があがります。大谷地にたくさんの水を送ると北野の水田の水が足りません。
 『水どろぼう』が出ないように、見張りが立つほど深刻でした。この問題は、戦争の後も続きます。」(郷土史「北野」)
 また、昭和24年(1919年)6月10日付「北海道新聞」には、白石地域の「水騒動」についての記事が載っています。かなり深刻な事態であったことが記事の内容から読み取れます。

まとめとして
 北海道の開拓、札幌の開墾のかげには、多くの人々の弛みない努力があってのことになりますが、清田地域の発展には、取り分け吉田善太郎等による用水路の開鑿が大きいと思います。
 この灌漑溝によって稲作収穫の増大をもたらし、月寒川と厚別川に挟まれた清田・北野・大谷地にまたがる広大な地域の開発の基盤が作られたからです。ここに住まいする多くの人々にとって、生きる術を得えることが出来き定住化が進んでいきました。

 多くの失敗を重ねながらも稲作に取り組み、用水開鑿によって一大農村地帯の出現を見ることができ、内地よりはるばる北の果てにたどり着いた多くの開拓者にとって、それは夢にまで見た光景であり、感慨もひとしおのものがあったと思われます。
 田に稲が実る光景は、希望と励みとなり今までの様々な辛苦を忘れさせ、明日へ向けての意欲をもたらし、充実感・満足感へと昇華させたこととなったでしょう。

記:きよた あゆみ(草之)

<本編>明治25年頃 「吉田用水」の開削

<外伝>吉田善太郎の農場(牧場)と邸宅

<外伝>明治25年頃 開削した「吉田用水」諸々のこと

<外伝>明治43年 吉田善太郎の碑

<外伝>吉田善太郎の名を冠した「吉田山」


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