あしりべつ郷土館は7月16日(土)、札幌市清田区北野の北野ふれあい橋河川敷で開催された第30回北野ふれあい夏まつりに、北野の歴史パネル展を出展しました。

北野ふれあい夏まつりに出展した郷土館パネル展

 夏まつり実行委員会が用意したテント1張りを使い、「北野にある人の名が付いた橋」と「北野の歴史遺産・吉田用水跡」の2テーマの写真や地図などをパネルにして展示しました。

 これは、夏まつり実行委員会の求めに応じて出店したものです。パネルは、屋外のお祭り会場に合わせて、全体に文字を大きくしたものを新たに制作しました。

■人の名前が付いた橋

人の名前が付いた4つの橋

 北野地区を流れる厚別川(あしりべつ川)には、柳瀬橋、高木橋、田の中橋、実(みのる)橋という人の名字や名前が付いた橋が4つあります。しかし、昔は、今の旧道に厚別橋(あしりべつ橋)が架かっていましたが、下流の北野地区には橋がありませんでした。

 このため、橋の近くに住んでいた人たちが努力して、最初の橋を架けたと思われます。最初は木を割って並べた橋だったそうです。

 橋の名は、中心になった人の名前(柳瀬家、高木家、田中家、山崎実氏)から、それぞれ地域の人々が呼ぶようになったと思われます。北野を開いてきた先人たちの苦労がしのばれます。

 パネル展では、明治37年(1904年)北野生まれの柳瀬清太郎さんの話を紹介しました。

■柳瀬清太郎さんの話

 厚別川(あしりべつ川)には橋なんか架かっていなくて、平岡の方へは行くことができなかった。厚別(あしりべつ)の郵便局(今の清田郵便局)に届いた郵便物は、集配の人が川の向こう側にやって来て、大きな声で「柳瀬さーん」と叫ぶんだ。そして河原に落ちている石に郵便物をしばりつけ、こっちへ投げて寄こすんだ。

 そんなことをしているうちに、柳瀬橋、高木橋、田の中橋ができたんだ。これで平岡方面へも行き来ができるようになった。(「とよひら物語-古老をたずねて」=札幌市・1992年刊)

■吉田用水跡

郷土館スタッフ

 パネル展では、北野3条3丁目に長さ500mの緑地帯として残る水田用水路「吉田用水」跡も紹介しました。吉田用水は明治25年(1892年)頃、厚別川から取水して北野、大谷地方面の水田に水を供給した最初の用水路です。これで北野などに水田が広がるきっかけとなりました。用水路は昭和40年代までありました。