札幌の昔の農業用水路跡や土木遺構などを訪ね歩いて調べているグループが10月31日(火)、札幌市清田区北野の「吉田用水」跡を見学、視察しました。
このグループは、北海道大学名誉教授の長澤徹明さんや北海道産業遺産学会の吉田裕二さんら6人でつくる「札幌の史跡を歩く会」。長く北海道庁で農業土木実務や北大で研究に携わった人たちです。
これまでに、
▽江戸末期に今の東区(当時の元村)を開墾した江戸幕府の役人、大友亀太郎が開削した用水路「大友掘」(南3条東1丁目→北6条東1丁目→北13条東16丁目、創成川の前身)跡
▽手稲山口地区の排水溝であり水上運送にも使われた「山口運河」(明治30年=1899年完成)跡
▽開拓使の農業技術指導者エドウィン・ダンが明治12年(1879年)に造成した「真駒内用水路」跡
▽明治41年(1908年)に日本初のコンクリート製防波堤として完成した「小樽北防波堤」
などを現地視察し、調べてきたそうです。
そして、今回は清田区北野3条3丁目に残る吉田用水跡を現地調査に来たという次第です。
吉田用水は明治25年(1892年)頃、造成されました。今の北海道コカ・コーラボトリング工場(清田区清田1条1丁目)裏の厚別川(あしりべつ川)から取水し、北野地区を通って大谷地方面へ田んぼの水を供給した全長5㎞の素掘りの用水路です。
この辺り一帯を水田地帯にした最初の用水路でした。中心になった人物の一人が吉田善太郎という人物だったことから、吉田用水と言われています。
吉田用水は、昭和40年代に宅地化の進展で水田がなくなったことから役目を終え、埋め立てられてしまいましたが、北野3条3丁目の500m区間だけは、帯状の緑地帯として残り、現在に至っています。
「札幌の史跡を歩く会」の一行はまず、あしりべつ郷土館で吉田用水を10分間で紹介した動画を視聴。その後、あしりべつ郷土館スタッフで郷土史家の了寛紀明さんと田山修三さん(北海道文化財保護協会副理事長)らの案内で、コカ・コーラ裏の吉田用水記念碑を見学しました。
そして、北野3条3丁目の吉田用水跡に行き、雑草が生えた状態の吉田用水跡全長500メートルを実際に歩いて視察しました。
一行は、吉田用水の取水口の位置や昔の厚別川の流路、あしりべつ地域(今の清田区)の開拓当時の様子など盛んに質問し、了寛さんが答えていました。
清田区北野に残る吉田用水跡が、北海道の近代土木遺産を研究するグループからも注目されるのは光栄なことです。
一行は11月15日には、滝野すずらん丘陵公園のあしりべつの滝付近にあった「厚別(あしりべつ)水車器械所」(明治13年~明治19年)の遺構を公園関係者とともに現地調査するそうです。厚別水車器械所は、札幌の街を造るのに使う木材や建材を生産した北海道開拓使の施設で、主に屋根柾を生産したそうです。